天神署

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取り調べ室で健児は鈴木の一連の動作を見て目頭が熱くなり涙をこぼした。 こみ上げる気持ちを抑えられなかったのだ。 それを見た鈴木は「悪い、悪い」と、手のひらで煙を慌てて振り払った。 煙が揺らめくたびに、彼の手の動きは一層激しくなり、まるで見えない敵と戦っているかのようだった。 鈴木は慌てて、タバコを灰皿に押し付けて火を消した。 「悪かったな」と乾いた声で言いながら、その手はまだ空中で煙を追い払っていた。 「そういえばお前は煙草は吸わない口だったな」と健児が煙草を吸わなかったこと思い出した鈴木であるが、それでもここまでひどかったのかと一瞬考えもしたが、「すいません、ちょっと目に染みたみたいで」と健児が答えたので、それすら忘れてしまった。 「すいません。」 「最近煙草を吸う人間との接触が少なくてですね」と明るく話す健児の言葉に安堵する鈴木であったが、この涙の本当の意味を理解することはなかった。 一方健児自身は、まるで映画に出てくる刑事の様にさまになったいつもの仕草を見た途端、こみ上げるものがあったが、それを話すことは出来なかった。 鈴木のジッポライターのこだわりは相当に古いもので、ジェームズ・ディーン演じるジム・スタークが、家庭や学校での疎外感に苦しみながら反抗的な若者として生きる姿を描いている「理由なき反抗」でジムがジッポライターでタバコに火をつけるシーンがありそこから影響を受けている。 鈴木は部屋に立ちこめた煙が収まると、柵の付い小窓を開け外の空気を部屋に流し込んだ。 バツが悪そうにパイプ椅子に鈴木が座ると健児は事の成り行きを順序よく話始めた。 一連の経緯を理解した鈴木はこれを事件として扱う決意が固まった。 本来なら、たった1日女性の行方が分からないだけでは警察は動かないが、 まずは拉致、誘拐の線で動くことにした。 健児からは浦田愛子自宅のドア上部に紙を差し込んであることと、自宅を訪れた際の、電気メーターの数字と水道メーターの数字を書いたメモ帳を鈴木に見せた。 鈴木と健児は必要な話が終わると取り調べ室を出た。 鈴木は捜査一課に戻り捜査方針を伝えた。 一方健児は、署内に置かれているロビーチェアに座って待つ、優子と幸子の元に向かった。 優子と幸子はここで待つように指示をされていると健児に伝えると、「じゃここで待っていよう」と答え健児もロビーチェアに座った。 刑事一課ではこれを身代金目的の誘拐として捜査に乗り出す事は健児には分かっていたし、それしか動かせる理由もなかった。 健児にとって大事なのは浦田愛子がいつ美容室を出てどこに向かったかである。 それでも捜査には順序がある事は十分承知していた。 まずは浦田愛子の家には鑑識を派遣しなければならないが、拉致、誘拐の線で動くので堂々とパトカーを向かわせるわけにはいかない。 鑑識係は迅速に必要な機材を準備し始めていた。 ホルスターに収められた工具セット、現場写真を撮影するためのカメラ、指紋採取キット、それに証拠物を入れるためのビニール袋を手際よくチェックする。 「現場に急行します」と上司に告げるが、乗り込む車は自家用車を使用した。 それえぞれが4人一組で車に乗り込み、鈴木茂雄を率いる捜査班と鑑識班の2台が現場に向かった。 鑑識班はこの様な場合に備えて一見して鑑識とわからないような黒のビニールジャンパーを羽織り、普段は着帽を義務付けられている帽子は着帽せずに、各自のカバンに入れて現場に向かった。 鈴木茂雄率いる捜査班はスーツのまま現場に向かい、それぞれ距離を置いて車を降り浦田愛子の自宅に向かった。 車は少し離れた駐車場に停め、それぞれの運転手役が現場に向かっていた。 幸いなことに建物の中に入ってしまえば外からは見えないので、それぞれが時間差で建物内に入れば特に違和感はなかった。 マンションの鍵は浦田幸子が合鍵を持っていたので、最初の一人がオートロックを解除して、中に入れば中にある赤外センサーに触れれば、後からくる人間は鍵がなくとも入っていけた。 そして浦田愛子の自宅前に着くと鈴木は玄関の上部に差し込んである紙切れを確認したが刺さったままであった。 鈴木の指示で鑑識が電気メータと水道メーターを調べたが、電気メーターは殆ど動いておらず、待機電力状態であると推測された。 また水道メータの数値に変化がないため、健児の推測通りここには誰もいない可能性が高まった。 鑑識はこの時点ですでにビニール手袋とビニール靴袋を着用していた。 まずは現場の特定が最優先なので、合鍵で部屋を開け中にまずは鑑識が入って行った。 唯一刑事の鈴木もその最後に加わっていた。
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