夜の天神

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夜の天神

幸子と会話を終えた健児はちらりと腕時計を見た。 時計の針は正確に時を刻んでいる。 1994年に発売された自動巻発電クオーツである。 今年の1月2日の初売りに一目惚れして買った時計である。 過酷な環境条件に耐える性能を備えたアドベンチャーウオッチとして開発され 、金属射出成形加工技術でしか生み出せない複雑かつ織細な回転ベゼルと、水の侵入を防ぐワンピースケース構造が特徴であった。 オール純チタンケースのランドマスター。 型番SBCW001セイコー最新モデルであった。 健児はそれに一目惚れしてしまい購入した。 しかし、今はそのような思い入れに浸りたい訳ではない。 鈴木茂雄が現場に向かい、別働隊は職場に足を運んで、鈴木がもう戻って来ている頃だと時計の時刻を見て確証を得たかったのだ。 「すいません、喉乾いたでしょう?」と健児は幸子に声をかけ、署内1階にある自販機に向かった。 それぞれに好き嫌いがあるだろうが、「茶流彩彩 爽健美茶」なら問題ないだろうと3本同じものを買うことにした。 健児はコーヒーが好みだが、ここにあるコーヒーは甘ったるくて買う気にはなれなかった。 3本のお茶を両手にして席に戻ると、刑事が一人いた。 その刑事は浦田幸子と池上優子との会話をちょうど済ませたタイミングだった。 それを見ていた健児は刑事に声をかけた。 「すいません、今戻りました」と声をかけると、続けざまに「鈴木さんが呼んでるんですよね」と相手の言葉を先読みしたかのように刑事の用件を言い当てた。 「あっ、そうです」と刑事が答えると、両腕に持っていた3本のペットボトルを優子に預け「ちょっとだけ待っててくれ」と言って、そそくさと刑事一課に歩き始めた。 あっけに取られた刑事は健児の後を追う形になった。 いつもながら健児の感の良さに呆れる優子であったが、健児に渡されたお茶を幸子に渡すと優子も隣でお茶を飲み静かに待つことにした。 健児が刑事一課に行くと鈴木茂雄は戻ったばかりのようだった。 彼の用件は明日任意での取り調べのため健児に署に来るように伝えるためと、健児の意見を再度聞くためだった。 聞かれて困ることがない話はいつもの鈴木茂雄らしい音量で話していたが、周りに目配せをして、ここぞというタイミングで健児の顔を近くに呼び寄せた。 「これは殺しか?」と低い声で健児に尋ねる鈴木。 「ほぼその線で僕は動きます」と健児は言葉を返した。 それを聞くと「よし、今日は、お前と彼女は帰っていいぞ」と鈴木は健児に帰宅の許可を出した。 それを聞いた健児は「明日の10時頃お伺いします」と鈴木に返答した後一礼をして、一課を出て二人の元に戻った。 戻るとすぐに「刑事さんから聞いていると思いますが、幸子さんの自宅に刑事が同行するので、ここで一旦お別れになりますが、何かあれば優子かこの名刺の番号に連絡ください」と健児の名刺を幸子に渡した。 「夜は留守電になるので、その場合はそちらに伝言を残してください、次の午前中には必ずこちらからご連絡します」と自信に満ちた笑顔を見せる健児であった。 その後、健児の言葉通り刑事数人と共に浦田幸子は自宅に戻っていった。 その間、健児と優子は再び天神地下駐車場に車を向かわせていた。
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