夜の天神

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傍から見た普通のカップル見える光景だが、聞き耳を立てるとその会話の内容は普通ではなかった。 優子なりに愛子の男性関係を考えてみても、実家に連れて行く様な男性に心当たりはなかったが、今年の年賀はがきに添えられたメッセージはいつも違っていた。 「今年は優子にも春が訪れますように」と添えてあったメッセージ。 30歳ともなれば周りの女性は家庭に入っていても何ら不思議ではなかった。 浦田幸子の話を聞くまでは(お互い様です)といった感じで気にもしていなかった。 だが今となっては(そういうことだったのか・・・)と理解できた。 そう考えると去年の1月から12月の間のどこかで、関係を深めた男性がいてもおかしくないと優子は考え健児にそのことを話した。 食事をしながらであるが、健司はその話は事件と関連があると考えた。 そうすると、その男性と事件と独立と女性の繋がりが見えてこない。 12月となり、世に言う「師走」となれば、年の瀬に向けて忙しさが増す時期である。 万事において人々が忙しくしておるが、美容業界もまた然りだ。 古来より「十二月はかき入れ時」と申されるがゆえ、どの店も繁忙を極めている。 時節といえば、優子は藤原道長の詩を思い出す。 「冬の夜は月さえこぬる山里に人目も草もかれぬと思えば」。 彼の言葉の如く、静かなる冬の夜に思いを馳せる者もおれば、現世の喧騒に追われる者も少なくない。 そして多くの人々が新年を迎えるにあたり、美しき己を望むがゆえ、自然と美容業界の店々は混み合う。 それでも12月30日か31日にはお店もお休みになる。 5年前の旅行の時に聞いたのだが、この時期の美容業界で働く人たちは忙しすぎるため、食事はおろか水分すら摂る時間がないという人も多いいらしい。 どこの美容室も12月30日はほぼ確実に営業しており、年始は3日、個人なら5日が過ぎれば通常営業に戻るようだ。 そもそも美容師・理容師にとって、3連休以上の休みがあることは年末年始以外にないことが多い。 その激務を終えて旅行に出かける相手なのだから、それなりの関係性であったことは間違いはないはずだ。 美容室の繁忙期は、3月と12月になる。 今がその3月である。 年度末の3月は、卒業式や入学式などのイベントに向けて、髪の毛を整えられる人が多いため美容室は忙しくなる。 そして今日、天神の街を歩いて気が付いたのだが、もうすぐ3月3日になることで、活気づいているようだった。 3月3日といえば、世に言う「桃の節句」。 優子は幼き日々に戻るような懐かしい思いが心に湧き上がっていた。 その日のことを思い出すと、芭蕉の句が頭をよぎる。 「梅若菜まりこの宿のとろろ汁」。 春の訪れを感じさせるこの句が、私の心を和ませる。 私が幼かった頃、3月3日になると家族と共にひな祭りを祝った。 母が用意してくれた美しいひな人形、祖母が歌ってくれた「うれしいひなまつり」の歌。 家中が華やかに彩られ、まるで私もひな壇の中の一人形になったかのような気持ちだった。 「春の宵、雛の顔、灯火に映りて」と詠んだ斎藤茂吉の詩もまた、私の記憶の中に生き続けている。 灯火に照らされた雛人形の微笑みは、いつまでも変わらぬ私の宝物だ。 父が優しく話してくれた偉人たちの物語も、私にとって大切な思い出の一部だ。 その記憶に愛子もいた。 表にこそ出さないが、改めて、あの日の愛子は本当に思い出になってしまったのだと実感していた。
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