夜の天神

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食事が終わり、コーヒーを飲みながら健児は時計を確認していた。 どこの喫茶店でも時計は分かりやすい所に置いてあるが、お気に入りの腕時計の秒針をさっと見て、優子と話し始めた。 この後店を出て、優子に美容室にもう一度出向いてもらうことを告げた。 そして出来れば世間話を交え、愛子の男性関係やトラブルなどを聞いてもらうように指示をした。 ちょうどその時、健児のポケットベルが鳴った。 ポケットベルを取り出してみると、0202の数字がディスプレイに表示されていた。 これは事務所にいた、西島和子が事務所を閉めた合図である。 数字は語呂合わせの物が多いが、今の健児には警察無線が有るわけでもないので、電話番号と4949以外は西島和子が事務所を離れる場合の番号が使われていた。 0202は「お疲れ様」からオツをとって語呂よくしたものだし、4949は「至急」を意味していて事務所連絡が必要な場合に使われていた。 それを見て西島和子の退社を確認した健児は、美容室でのカットなどの料金と時間を優子に尋ねた。 すると優子は、「毛先をカットしてシャンプー&ブローなら1万円位あれば」とさらっと答えた。 探偵業を始める前は散髪代は1000円から3000円の店を使っていた健児であったが、探偵業を始めだしてから優子に身なりを整えるように言われ、最近では5000円程する散髪屋に行っていた。 確かにコーヒーが出たり、雑誌を渡されたりもするが、健児は髪なんかどうでもよかった。 そもそも短くする以外の選択肢がない健児にとっては場違いな店であったが、優子が付き添い、細かく指示をしてくれたおかけで、「いつもの様に」で話が付くようにはなっていた。 優子には好評のようだからそこの通うようにしているが、なんとなくチャラついているようで最初は落ち着かない健児であった。 しかし女の髪とは、服もそうだがなぜそんなに金がかかるのだろうか。 美容室に全く無縁な健児には理解できなかった。 しかし優子がそう言うのなら、そうなんだろうと財布を取り出し、3万円を渡した。 これは聞き間違って3万円を出した訳ではない。 話の流れ次第によるが、店の人間との食事代を前もって渡したのだ。 警察ではないので捜査権はないが、食事代を払う事は私人なので、法に触れる事はない。 こう見えても健児は財布にいつも現金10万円を入れていた。 5万円は福沢諭吉が5枚。 後は、新渡戸稲造、 伊藤博文、そして今年の4月1日に支払停止日を迎える五百円札の岩倉具視などが約5万円分。 ほかに銀行のキャッシュカードにクレジットカードにテレホンカードも数枚はいつも用意していた。 小銭はかさばるが田舎に行くとテレホンカードが使えない時があるので小銭もそれなりに用意していた。 そのため健児も類にもれず黒のカバンに金のグローブトロッターの錠前が付いたセカンドバックを使っていた。 そこにメモや筆記用具なども詰め込まれているので、健児は肌身離さず持ち歩いている。 優子はそのお金を使うことに躊躇したが、健児の性格は十分に分かっているので、「ありがとう」といって受け取った。 確かに普通なら優子が依頼主という事になるが、健児は優子から報酬を受け取る気は初めからなかった。 この喫茶店を出たら地下街から美容室に向かい、優子は店に、そして健児はビル1階入り口付近で待機。 食事をする場合は、大名にある店か親不孝通りにある店に誘導。 その時大名なら、指を1本、親不孝通りなら2本、万が一中洲なら3本と決め、助けがいる場合は、手を握る動作と開く動作を繰り返すように打ち合わせした。 尾行の際、刑事ドラマの様にタイミングよくタクシーが捕まればいいが、乗車拒否をするタクシー運転手もかなりの確率でいるし、場所によっては次が来ない時もある、一応ポケベルの番号は教えているが、店の電話がダイヤル式だと送信できない。 そのため、はぐれた場合は1時間以内に探偵事務所に戻るように健児は指示をした。 自分たちが追っているのは、殺人犯である。 正体が分からない以上、優子に無理はさせたくない健児であった。 それでも、女性相手の聞き込みなので優子に動いて貰うしかなかった。 またこちらの意図を知られてくないので、午前中に顔を出した優子が報告がてらに、再び店を訪れたとしても違和感はないはずだ。 そして頃合いを見て健児達は、まだ寒さの残る夜の天神へ出て行った。
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