天津祝詞

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天津祝詞

美容室があるビルに着くと、2階の明かりはまだついていたので、打ち合わせ通りに二人は行動を開始した。 優子はエレベーターで2階に上がり、店に入ると、愛子が行方不明であることを昼間に対応した女性に報告し始めた。 それを聞いた女性は驚いた素振りを見せず、「やっぱり本当なんだ」と言葉を返した。 その女性によれば、3時頃に警察が来て愛子のことについて聞かれたらしい。 その時警察はハッキリとしたことは言っていないものの、愛子の身になにかあったのだろうと、従業員たちは感じていた。 そこに優子が現れ、行方不明であることを告げたので、納得できたのである。 そして優子は愛子の母親と一緒に警察に行って、手続きをしたことや、母親が愛子のことを心配していたことなどを告げた。 優子がそこまで親しい間柄と知った彼女は、優子に対してのよそよそしさはもう無くなっていた。 そこで初めて女性は自分の名前を口にした。 彼女は10年前までは東京の美容室で働いていて、そこで知り合った男性と結婚。 工藤雪子から佐藤雪子となった。 佐藤雪子は青森県の生まれで、知り合った男性は北海道の出身だった。 東京では美容室に男性が来ることは珍しいことではなく、たまたま彼女が担当したのがきっかけだった。 お互い雪国育ちであったので、自然と地元の話をする機会が増えた。 そこから美容室以外でも会うようになり、二人は結ばれた。 そして夫の転勤をきっかけに彼女は福岡に引っ越してきた。 その時から今の店で働き始めたので、愛子の先輩にあたる人物だった。 彼女の店は若い女性が集まる激戦区にあり、最新のトレンドに対しては常に敏感であった。 そのためにカットを任される人間には高い技術が求められ、その分給料も福岡では稼げない金額が支払われていた。 もちろん売上に応じた歩合となるが、彼女の技術は店でも高い評価を受けていた。 そのため福岡に来た当時は技術と給料面で不満がどうしてもあった。 ただこの店のオーナーは東京の美容室に詳しく、彼女が務めていた美容室の名前も知っていた。 オーナーは面接で単刀直入に、前の店での給料を聞き、その場で歩合についての話になった。 ただ福岡と東京では事情が違うことや、店のトップとして技術指導も任せたいと話がトントン拍子に進んだ。 確かに東京時代と同じだけ稼ぐことは無理だと思えたが、それ以外の待遇はどの店よりも良かった。 また出産や育児についての理解も示したことにより、彼女に断る理由がなくなった。 この店のオーナーも女性で家庭を持っていた。 年も同じ30代であり、3店舗目の出店計画もあったし、最初の1ヶ月の働き次第で店長を任せたいとも言われた。 その場合、従業員間での軋轢を生まないために、現店長は別の店舗に移動してもらい、その間に次の店舗の出店を進めるとの考えも示した。 もちろん佐藤雪子の実力次第であったが、彼女は福岡に引っ越してきて何店舗か面接を受けたが、技術面で負ける気はしなかった。 そのため彼女はこの話を即決した。 それから彼女はこの天神のど真ん中の店の店長となった。 その後、浦田愛子が専門学校を卒業して、この店に勤めるようになり、浦田愛子に高い技術を教えることとなった。 佐藤雪子は浦田愛子にとっては先生のような存在でもあり、目標でもあった。 向上心の強い浦田愛子は寝る間を惜しんで技術を磨いた。 そんな時期に何度か優子はカットモデルとしてこの店に来ていたことがあった。 カットモデルとは、技術的に未熟なアシスタントレベルの美容師がカットの練習をするためのモデルである。 カット代など無料であるが、詰まるところ美容師が練習したいヘアスタイルの練習台である。 なので午前中に来た時、優子が前に1度来たと答えたのは、客としての話である。 そんな昔話をしながら少し伸びた髪を数センチ切ってもらいながら、二人は昔話に花を咲かせていた。 一方、健児は優子と別れてすぐに近くにあるパチンコ店に入るとトイレに向かった。 優子の話では早くとも1時間はかかるとのことだったので、先に用を済ませ、昭和ビル入口が見える適当な場所を探していた。 さすがに1時間ビルの入口に突っ立っていれば、あまりにも不自然で目立ってしまう。 そのため始めは適当な場所を探していた。 しかし寒空、とりあえずトイレの確保ができたことと、人の通りが多いことは幸いだった。 それに営業中の美容室で何かあるとも考えにくいので、ある一定の間隔でパチンコ店に行く以外は結局ビルの入口付近で待つことにした。
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