1.慶王との謁見にて

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「紫苑が護衛として仕える前に話をしてみたいらしい。そんな日にいつもの格好じゃあ駄目だろう? だから風呂に入って綺麗にするんだ」 「まって、その話しは断ったはずだけど」 「俺が通しておいた」  笑顔で親指を立てられた。イラッときたので近くにあった椅子に手を伸ばすと英峰が焦った様子を見せた。 「やめてくれ! 徹夜明けに鈍器(どんき)はきつい!」 「断って」 「無理だ」 「なんで?」 「お前の弟の名で通したから」  紫苑は迷いなく椅子を投げた。椅子は英峰の額にぶつかったが投げた時の体勢が悪く、勢いがつかなかったためか桶のように壊れたりせず床に転がった。  英峰は額を抑えると「頭痛に純粋な痛みが加わった」と変なことを呟いた。 「紫翠の名前を使わないでよ!」  紫翠とは紫苑の二つ歳下の弟の名前だ。幼い頃から病弱で、深窓の令嬢ならぬ令息として崔家の屋敷から外にでることなく過ごしている。紫苑と同様に深く宝石のような瞳を持つ弟は身長の差はあれど鏡で写したようにそっくりな容姿をしていた。  その容姿と性別を利用したことは安易に予想がつき、紫苑は舌打ちをした。 「これで断れないな」 「なんでこういう時に限って悪知恵が働くわけ?!」 「金のためさ」  キメ顔で言われた。腹に立ったので投げるものが近くにないか探すがないので諦めた。 「どうすんのよ。これ」  紫苑はさっと顔を青くさせる。弟の名で慶王に謁見を願い出たのに当日になってこちらの都合で一方的に取りやめとは外聞(がいぶん)が悪すぎる。家柄に泥を塗るどころか肥溜めにつけるようなものだ。 「紫翠として護衛を勤めればいい。俺も手伝うから大船に乗ってくれ」 「泥舟の間違いでしょう」  なにか他に道はないかと思案するが名前を出されている時点でその道が潰えていることを理解して、紫苑は「分かった」と嫌々承諾した。
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