2.嫌がらせ

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 妙に優しく言われたので違和感を覚えるが、紫苑は黙って入室した。朱塗りの柱と白塗りの壁に囲まれた空間は、まるで一枚の絵画を見ているようだ。染みひとつ、くすみひとつすらない。不安になるほど整然とした空間を前に紫苑は微かに目を見開く。慶王が住まう城は外だけではなく、中も荘厳として美しい。 「お前はそこに座れ」  天凱は空いている座席を指さした。ちょうど、天凱の前の席だ。  紫苑は首を左右に振った。 「いえ、慶王様の食卓に同席するわけにはいきません。私は端のほうでじゅうぶんです」 「予に一人で寂しく食事をとれと?」  天凱の眉間に皺が寄る。 「慶王として命を下す。共に食べろ」  怒りが滲む口調で命じると空席を指さした。  王命は絶対だ。何者にも覆すことができない。紫苑は断りを入れると指示された席に腰を落とした。 「最初から諦めればいいものを」  天凱は手を叩く。 「持ってきてくれ」  時間を置かずして数人の宮女が(ぜん)を手に房室に入ると素早く料理を配膳しはじめる。紫苑の分もあるので最初から同席させるつもりだったらしい。  配膳し終わった宮女に「すみません」と声をかけるが、彼女達は紫苑には一瞥もくれずにそそくさと房室から出て行った。 「愛想がないだろう?」 「えっと、そうですね。私がいるからでしょうか」 「いや、違う。この料理に毒が仕込まれていれば配膳した者も罰せられるから恐ろしいだけさ」  天凱は箸の先で料理をかき混ぜる。せっかく美しく整えられていたのに、料理はぐちゃぐちゃだ。 「彼女達にとって予は疫病神に等しい存在なんだ」  箸で肉を摘むと天凱は迷わず口に運ぼうとし、 「紫翠よ。お前、本当に馬鹿だな」  止めた。 「——えっ」  代わりに紫苑の全身がびしょ濡れになる。  愉快そうに笑う天凱が腕を払い、何かを遠くに放り投げた。皿だ。紫苑の視界の端を銀製の大皿がカラカラと音を立てながら転がっていく。   紫苑の記憶が正しければその皿には羹が入れられていたはず。  つまり、今、自分の全身を不愉快に濡らす水は——。 「申し訳ございません」  紫苑は急いで席から立つと床に(ひざまず)く。羹を頭からかけられたという侮辱を受けても、かけた相手は慶王だ。怒りに任せて非難の声をあげるわけにはいかない。  怒りと動揺を隠すべく、面を伏せ、謝罪の言葉を発すると天凱はまたもや愉快そうに笑った。
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