1.溶けゆく赤

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 楚々(そそ)とした足取りで一人の女が歩いていた。  まるで仙人が自ら手がけた画から飛び出たような美貌には、その名の通り花のような微笑みが浮かんでいるが——。 (ふざけるなよ。あいつ、マジで。絶対にここを出たら死なない程度に痛めつけてやるからな)  心の中は罵詈雑言で埋め尽くされていた。  それも耳を塞ぎたくなるよう単語ばかりだ。耳にした人間は一人残らず、女——紫苑の怒りを察するだろう。  それでも紫苑が怒りを一寸たりとも顔には出さないため、誰もその心を知ることはない。滲み出そうな怒りを抑え込み、名家の姫として凛とした態度を保てるのは、こうなったのお陰でもあった。幼い頃から理不尽に付き合わされること数知れず、元凶の気まぐれに振り回され、周りからちくちくと嫌味を言われ続けた結果、鋼のような精神力を身につけることができた。  喜べばいいのかは微妙なところだが、今、この状況であっても発狂しないでいいのは利点だといえる。 (自分は安全地帯で、また私だけを利用する気だな)  場所は後宮、鳳凰(ほうおう)殿。歴代の皇后が住まうこの殿舎は贅沢にも幾多の金で彩られていた。色鮮やかな朱塗りの壁や柱と相まって、その様相は目が眩むほど。  その輝きをさらに引き立てるのは紫苑の行くすえを見守る三人の佳人である。各々、位を表す色の衣裳を身に纏い、宝玉で着飾った姿はこの鳳凰殿にも負けない輝きを放っている。静かに伏せられた面は見えないが、いずれも名花であることは分かりきっていた。  紫苑は負けじと胸を張って歩く。彼女達が類を見ない名花であっても、これから紫苑がとなるのだから舐められないように毅然(きぜん)とした態度を心がけた。  三人の前を通り過ぎ、奥に設置された豪奢な長椅子に腰掛ける。乱れた(すそ)をさり気なく整えると眼下で揖礼(ゆうれい)を捧げたままの佳人等を睥睨(へいげい)する。階級が上の者の許可がなければ顔を上げることも、発言も許されないなんて不自由だなと思いながら、普段は塗らない紅で彩られた唇を開いた。 「顔をあげなさい」  その声に佳人等はそっと面を持ち上げた。  予想通り、否それ以上の名花揃いであることに衝撃を受けつつも紫苑は笑みを()くのを忘れない。 「本日より、後宮の統治を任されることになった崔紫苑と申します。まだ未熟者ゆえ、あなた達に負担をかけることも多いかと思いますが、なにとぞよろしくお願いしますね」  事前の調査で紫苑の生家の方が家柄は高いことは確認済みだが、威圧的をとればこの後の調査に差し支えるだろう。  けれど、普段通りの口調では舐められてしまう。  なので、できる限り丁寧に、けれど凛とした態度で臨む。
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