3年生編 ① : 牛に引かれて善光寺参り

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「今なんて?もっかい」 「夏休みに四人で軽井沢に行かないか。 ・・・別荘が塩沢湖の近くにあってな、日頃の礼も兼ねて・・・まあ、慰労旅行みたいなものか。三日、四日程度を考えているんだが」  律儀に一字一句を繰り返した馨は、目を丸くする諒に「厳しいか?」と首を傾げた。言葉を失った諒は辛うじて何度か瞬きをすると、さっと蒼司を見た。  顰め面である。彼の中でどんな不満が蓄積しているのかは定かでは無いけれど、馨と居る時の表情については癖がついてしまっているようにも思えた。  大丈夫なのかこいつら、と心配になるが、一応、春休み中に自分の部屋で話し合いをしてもらって、結果的には交際する運びとなった事は現実のはずだ。  交際に関して、相手の勢いに流されたり妥協したりする蒼司ではない。  だが顰め面であったり雰囲気が一見して険悪そうであっても、馨の言葉に蒼司が驚かない時点で察する事は安易だ。 「蒼司はそれでいいんだ」 「まあ・・・四人だし、どうしても何かしたいって言うし、物資じゃ納得というか、満足出来ないんだって」  背凭れに体重をかけながら言う蒼司の言葉を聞いて、躊躇い気味に様子を覗う表情の馨に視線を戻す。 「受験もバイトもあって忙しい事は分かっているんだが、夏休み位しか無いし、息抜きとでも思ってくれれば───無理ならそれで良いんだ」 「いや無理ではないですよ、急で驚きはしたけども」  自分の言葉に安堵した馨を見た諒は、本当にその表情や雰囲気の変化は感慨深いものだった。今はもう、ただの朗らかな美男子である。弟の成長を見る兄の気分だ。  とはいえ、蒼司が絡むとあっさり不機嫌になったり、拗ねると関わり始めの頃みたいになるのだけれど、それもそれで彼の魅力であり、個性である。 「俺は良いけど───」 「瀬戸君は諒が行くならついてくるでしょ」 「いやうん、まあ、でも聞いてみないと」  諒が行くとなれば当然だ、という蒼司の認識は嬉しいが、もう1人の元問題児の意見も必要である。  諒は近くを通った瀬戸を手招くと、近くに寄って来た瀬戸の腕にさり気なく触れて見上げる。 「どうした」 「うん、ちょっと話があるんだけど、休憩っていつ?」 「暇だから今で良い」 「はっきり言ったなー」  確かに今いる客の全員に料理が行き渡っていて、特に注文をしようとするテーブルもないし、カウンターとホールにももうひとり従業員がいる。  手の空いた従業員が常連と世間話をする姿は珍しくないため、瀬戸の言うことも特に問題にはならない。  話を聞く姿勢になった瀬戸は、馨の説明に大人しく耳を傾けている。だが予想外の内容だったらしく、その目は困惑と呆気が混ざった。 「───・・・夏休みに、四人で、軽井沢?」 「壊れかけのロボットみたいだね」  話を聞いた後に瀬戸が溢した言葉に、絶好の機会だと言わんばかりに軽蔑した声で蒼司が突っ掛かったものの、その態度に慣れている瀬戸は「そりゃそうなるわ」と平然な様子で返した。 「費用は気にしなくて良い。移動もこっちで車を出すから」 「え、馨先輩って車持ってんの」 「ああ、18になってすぐ免許を取ってな。車はその祝いにお下がりを親がくれた」  馨の誕生日がいつかを諒は知らなかったけれど、かなり忙しかったはずなのに免許を取得する時間を作れるとは、流石の高スペックである。  運転が初心者とは言っても、馨のことだ、すでに熟練者並みでもおかしくない。運転の不安はまったくなかった。 「俺は問題ないけど、瀬戸は大丈夫そう?」 「まあ・・・早めに日程が分かれば」 「そうか! ありがとう、決まったらすぐに連絡を入れよう」  瀬戸の返事で一気に表情が明るくなり喜びを露にした馨だが、店内にいる他の客の視線を一身に浴びていて、しかし彼らの目を潰してしまうのではと思うほど輝いていた。初めて見た子供っぽさを感じて諒は自然と笑みが浮かぶ。  そしてふとした何気ない疑問を投げた。 「、というか軽井沢に別荘って、やっぱり先輩のとこめっちゃ裕福なんだな・・・」  五十鈴の家がどれほどの生活水準なのかは知らないが、有名な企業である事に違いは無い。  
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