3年生編 ① : 牛に引かれて善光寺参り

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 馨の運転は不快感が全くなかった。  急ブレーキや躊躇い、荒っぽさも無く、道路の形状による揺れ程度で、車内の空気もシートも居心地が良い。  車自体の質の良さもあれど、それでも初心者マークが取れたばかりとは思えない乗り心地である。  瀬戸もすんなり眠りに入っていて、諒は半端な傾きにならないよう座席の真ん中に移動している。 「先輩、運転の練習とかする時間よく作れましたね」 「まあ大学は試験さえ受けられれば良くて、免許を取ってからは家の用事も減って案外余裕があってな」  これは馨だから出来る事だな、と諒は話を聞きながら力の抜けた相槌を返した。話には無関心そうな蒼司からグミの袋を差し出され、有り難く受け取る。 「というか学生だけで旅行とか良いんかな。ご両親何も言わなかったんです?」 「まあ、高校生三人を預かる身である事を忘れるなとは言われたが、それ以外は特に」 「そっか、でも俺は不安とかないよ」 「ありがとう」  何かしらひと悶着あったんじゃないかと危惧していたものの、それは杞憂のようだ。馨は年齢的に成人として扱われるけれど、やはり二十歳という境界線は根強い。 「後ろ二人は親御さんに連絡入れたか?」 「俺は入れたよ。瀬戸は必要ないって」 「そうなのか、本人がそう言うなら何も言わんが」 「うん、大丈夫。てか先輩が卒業前する前にはみんな先に独り暮らししてたの変な感じ」 「そういえばそうだね」  諒の場合は少し特殊ではあるけれど、状況は一人暮らしと大差ない。蒼司の両親は北海道、瀬戸に関しては親類との関わりがほぼ切れている為、連絡の必要が無い。  高校を卒業すればその希薄な関係も完全に切れてしまう。正仁の話では、瀬戸の今後について話す相手は両親ではなく兄の宗也だという。それは瀬戸も承知している。  正仁は、瀬戸の保護者として、、時間を作って宗也と話をするから大丈夫だ、と普段と変わらない声で諒に説明している。  諒は今後の不安や期待の入り交じった緊張を抱え続けているけれど、父が大丈夫だと言えば大丈夫と思えた。 「先輩は高校在学中に独り暮らししようって思わなかった?」 「ん、必要ないから考えなかったな。プライベートを干渉される事は無いし、家が広いのもあるが両親は仕事で殆ど居ないから手伝いや食事以外であまり顔を合わせなかった。兄もそんな感じだな」 「えっ、先輩お兄さん居るんだ」  言ってなかったか、とあっさり返される。諒の中で馨は一人っ子というイメージが勝手にあったので、「初耳」と驚きを露わにする。 「蒼司は会ったことある?」 「・・・ある。けど、苦手」 「珍し」  苦々しい声の蒼司に、諒は目を丸くした。基本的に別け隔てない対応力がある蒼司の苦手発言は意外だったが、そういえば馨に対しても最初から苦手意識を持っていたな、と思い出す。 「馨先輩と似てるから?」 「いや、そういうわけじゃなくて、」 「兄は俺とは殆ど似ていないんだが、初対面で蒼司を気に入ったみたいで・・・会う度にしつこいんだ」 「似てんじゃん」  五十鈴兄弟の外見的類似点は知らないが、今の話を聞いただけでも好みはそっくりだ。  しかし馨はどこがと疑問したため、諒は初々しい過去を掘り返した。 「先輩だって蒼司に一目惚れしたんでしょ。追い回してたでしょ」 「そっ、うだけど、兄の性格は俺より自己中心的で楽観的、軽率な事が多い。まあ、親の跡を継ぐと決めてからはマシになったが」 「自己中心的って自覚あったんだ」 「お前に散々言われたからな。ちゃんと自分と向き合ったんだ」  確かに在校中は散々罵ったりはしたけれど、まさか本当にそれが効くとは思っていなかった。  それでも馨が自分と向き合った理由の根本には蒼司の存在がある。結果的にその一途な努力は、今の状況を考えれば少しくらい報われたはずだ。マイナススタートではあったけれど、蒼司が意識を改めるほど、馨自身の変化は大きかった。 「それに、」  言葉を切った馨は緩やかに車線変更した後、信号待ちで小さく息を吐いた。  
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