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 土方歳三が近藤勇と知り合ったのは、十七歳の時である。  多摩郡日野宿の豪農の四男として生まれた土方は、十一歳の時、江戸のいとう呉服店(現・上野松坂屋デパート)へ丁稚奉公に出されるも、番頭から受けた理不尽な暴力に反発し実家へ舞い戻ってしまう。十七歳の時に再度奉公に出されたが、こちらも長続きはしなった。  土方は、親の愛を知らない。  生まれた時すでに父は亡く、母親も六歳の時に他界した。  愛に飢えた子供の常として、彼もまた反抗的な「悪ガキ」として成長した。    そんな彼に丁稚奉公など勤まるはずがないのだ。  二度目の奉公にも失敗した土方は、実家で働くことになる。家伝の「石田散薬」の薬箱を背負って卸先を回る行商の仕事である。  そんな彼に義兄の佐藤彦五郎は、「力が有り余っているのなら、剣術の稽古でもしたらどうだ」と薦めた。佐藤は日野宿の大名主で、自宅に道場を建て、天然理心流三代目近藤周助に弟子入りしていた。  月に何度か周助が江戸から出稽古に訪れるのだが、その際に必ず帯同していたのが近藤勇であった。  近藤勇は、多摩郡上石原村(現・調布市)の農家の三男に生まれ、十五歳で周助に弟子入り。腕を見込まれ十六歳の時には子供のいない周助の養子となっている。  土方は、同じ多摩郡の農家出身で一つ年長の近藤に親近感を抱いた。  近藤も、養子という立場上普段は気苦労が絶えないとみえて、同年代の土方と会うのを楽しみにしている様子だった。  周助に許可を貰い、周助が江戸の試衛館に戻った後も土方家や佐藤家に泊まっていくことが度々あった。そんな時は普通の十八歳の若者に立ち返り、土方とともに野山を駆け巡り、また女子と戯れ遊んだものである。  土方と近藤は、ある意味、正反対といえた。  親の愛を知らず、どこへ行っても反抗と敵対を繰り返す土方に対し、近藤は親と呼ぶべき存在が四人もいる。  実の両親と、周助夫妻。彼らへの忠孝で生きているといっても過言ではない。  鬼瓦のようないかつい顔とは裏腹に、彼は若くして礼節の人であった。 「歳さん。剣術を本気で極めようと思うんなら、礼儀をわきまえなくちゃいけない。剣の道は礼に始まって礼に終わるんだ」  近藤はことあるごとにそう言って土方を諭した。  剣の腕前に関しては、土方は近藤にまるで歯が立たなかった。大人と子供ほどの差異があった。だからこそ、いつか近藤を超えようと必死に稽古した。何事も長続きしなかった彼が人生で唯一夢中になれたもの――それが剣術だった。  二人は兄弟のように共に研鑽を重ね、剣の腕を磨くことに精進した。  だが、そんな彼らの精神を揺さぶる大事件が勃発する。  近藤が二十歳、土方が十九歳の夏。  黒船が襲来したのである。  それは驚天動地にして未曾有の事態だった。  当然、恐慌が現出する。
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