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もう一人、斎藤一という幕臣の家に生まれた二十歳の若者も一時出入りし、熱心に攘夷論を説いていたが、彼は勤王の志士になるといって一足早く京へ上っている。
土方・近藤ら八名も、ひとたび攘夷戦争が起これば押っ取り刀で駆けつける気持ちだった。
すでに引退し、名を周助から周斎と改めた三代目は彼らの血気を案じた。周斎にとって、代々続いた天然理心流を後世に継承することこそが何より大事なのである。
「もっと道場の運営に力を注げ」
再三に亘って四代目に注意を与えた。
近藤勇は、攘夷へ前のめりになる門人たちと、道場を優先せよとの周斎の間で板挟みになっていた。
そんな折、十四代将軍・家茂が上京し、天皇の前で攘夷実行を約束するとの報せがもたらされた。いよいよ攘夷戦争である。しかも京都での将軍警護役に浪士を募集するという。
近藤らは一も二もなく応募を決めた。反対する周斎に近藤は、
「わずか十日間だけです。十日間の任務が終われば戻って参ります」
と説得した。
将軍の京都滞在は十日間の予定だ。
天皇に攘夷を約束し、すぐに帰東する。そして横浜港で攘夷戦争が幕を開けることになる。
その参加を巡っては、再び周斎とやりあわなければならないだろうが、それはまた後日考えればいい。それが近藤の考えだった。
こうして土方・近藤らの浪士組参加が決定する。
彼ら八名は決して師弟関係で結ばれているわけではない。
近藤の直弟子と呼べるのは二十歳の若き塾長・沖田総司のみである。彼だけが近藤を「先生」と呼ぶ。
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