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   将軍の権威が地におちる状況を目の当たりにして、一橋慶喜は心を痛めていた。  ――少しいじめすぎたか。  そう反省もしていた。  幕府に権力が戻ったのをいいことに、家茂を中心とした江戸の幕閣は一会桑を煙たがり、その権力を弱めようと躍起になっていた。  それに不満を覚えた慶喜は、将軍後見職にあった時のような家茂への恭順姿勢を捨て、禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)として孝明天皇により忠誠を誓うようになっていた。  しかし将軍職の権威失墜まで望んでいたわけではない。  同じ幕府の一員であることに変わりはなく、江戸の失墜は、やがて一会桑政権の基盤をも危うくする。  慶喜は慌てて事態収拾に乗り出した。  まずは家茂を説得して将軍辞任を撤回させ、その足で天皇の説得に乗り出す。 「今、異国と一戦構えても、国内がかような状況ではとても勝ち目はありませぬ。まずは長州を征伐することが大事。ここは涙を呑んで譲歩するよりほか手はありませぬ」  しかし孝明天皇は首を縦に振らない。天皇の異国嫌いは筋金入りなのだ。 「()の代に異人を受け入れたとあっては、御先祖様に申し開きが立たぬ」 「しかし今異国と戦えば、大坂が火の海になります。京都も無事では済みますまい」 「例えそうなっても、異国に屈服することだけは認められぬ」 「屈服ではございません。しばしの時間稼ぎでございます」 「いかなる意味じゃ」 「残念ながら国がばらばらの状態で異国と対等以上に戦うのは困難です。まずは長州を排除して国内を一つに纏め、そののち攘夷を決行するのでございます。ですから兵庫開港を約束はしても、今すぐではなく、ずるずると先延ばしに致します」 「結局は、開港せぬのだな」 「はい。時間稼ぎをしている間に国内を纏め、再び()てきが摂海に現れた時には見事叩きのめしてくれましょう」  慶喜の提案を、孝明天皇は最終的に受け入れた。  こうして六年ぶりに安政条約に対する勅許が下りることとなった。  天皇は兵庫の開港は結局はないと考え、外国艦隊側は条約通り開港すると信じた。  綱渡りのような交渉を、慶喜は二枚舌でなんとか乗り切った。  これで長州征伐の障害はなくなったことになる。  しかしすぐに開戦とはならない。  (きた)るべき攘夷戦に備えて大砲や鉄砲などの重戦力を温存したいと考えた孝明天皇が、幕府に対し、 「長州を訊問し、その上で厳しい処分を課せ。もしこれを受け入れるなら戦闘は回避するように」  との勅命を下したのだ。  戦わずして屈服させよというのである。  慶喜はすぐにも長州を武力で叩き潰してしまいたかったが、天皇の命令とあっては逆らうわけにもいかない。  そこで、一計を案じた。  長州が到底受け入れられないような厳しい処分案を課し、彼らの反発を受けて、討伐軍を差し向けるという作戦である。  まずは訊問使(じんもんし)を派遣する必要がある。   これには大目付の永井尚志(ながいなおゆき)が選ばれた。  新撰組からは近藤勇、伊東甲子太郎ら数名が従者として広島へ同行することとなった。
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