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    浪士組が中仙道を京へ向かっている頃、江戸の十四代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)は恐慌を来たしていた。  半ば正気を失い、一時たりともじっとしていることができない。 「もう駄目だ。おしまいじゃ」  うわごとのように同じ言葉を繰り返す。  弱冠十八歳の武家の棟梁には、この事態にどう対応すればよいかまるで分からなかった。  相談しようにも、将軍後見職の一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)も政事総裁職の松平春嶽(まつだいらしゅんがく)もすでに京へ発ってしまっている。  将軍は最後に、軍艦奉行並・勝海舟(かつかいしゅう)(この時はまだ麟太郎)が艦長を務める蒸気船・順動丸に乗って海路上京する手筈になっている。  しかし出発を数日後に控えたこの時点で、思わぬ事態が勃発した。 「鎮まられよ。大樹公がさよう取り乱してはなりませぬ」  側近の言葉も耳を素通りした。 「落ち着いてなどおられるか。エゲレスの艦隊が続々と江戸湾に集結しておるのじゃぞ」  家茂としては、上京して天皇の前で攘夷の実行を約束するだけでも気が重く、憂鬱なのである。  そもそも攘夷など出来るはずがないのだ。少しでもものの道理が分かる者なら、外国艦隊と戦って勝てるはずがないことくらい容易に理解できる。  しかし世間知らずの天皇には分からない。  志士と称して世直しを標榜する無頼の輩たちにも理解できない。  いや、日本中のほとんどの人間が盲目となって、馬鹿の一つ覚えのように「攘夷」「攘夷」と連呼している。  自分は、攘夷など(はな)から無理だと承知しながら、これから京へ上って攘夷の実行を天皇の前で約束しなければならない。  何と馬鹿げたことだろう。  だが、それだけならまだいい。なんとか約束だけして誤魔化し、うやむやにことを済ませる方法もないではない。慶喜や春嶽と連日その手立てを練ってきた。  ところが今度は、英国の艦隊が生麦事件の賠償と犯人引渡しを求めて横浜港に集結し始めたのだ。要求を呑まなければ砲撃を開始するという。
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