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お琴が去ったのち、土方は郷里の佐藤彦五郎へ文をしたためた。土方にとって義兄にあたり、お琴やその家族とも親密な関係にある地域の有力地主である。
手紙の内容は、お琴を一刻も早く郷里に戻してほしいと強く嘆願するものだ。
このまま薩摩藩邸に留まれば、あの無鉄砲なお琴のこと、いつ何時、密偵行為がばれて処刑されるか分からない。薩摩藩邸に暇を出させ、彼女を郷里へ帰すには、両親や地域の有力者による働きかけが不可欠である。
土方がその緊急性を伝えるため、文章を吟味し練り直していると、庭の方からゴホゴホと激しく咳き込む音が聞こえてきた。
痰のからんだ、尾を引くように長く乾いた咳である。
また沖田が喀血しているのだろうか。
そう思って筆を置き、部屋を出て廊下を声のほうへ進んでいくと、庭でうずくまる沖田の姿が目に入った。
近づこうとした時、
「沖田様、沖田様」
ひとりの女性が沖田に駆け寄っていくのが目に入った。池田屋の一人娘・さよである。
土方は思わず柱の陰に身を隠した。
「だから言ったのです。外に出るなど無茶だと」
さよが真っ赤な顔で怒っている。沖田は顔を上げ、
「いつまでも寝ているわけにはいかんのだ。一番隊隊長がこのざまでは、隊士たちに示しがつかぬ」
言ったとたん、再び咳き込み、うずくまった。
「大丈夫ですか」
心配そうに背中をさする。
沖田は平静を取り戻すと、さよの手をぎゅっと握りしめた。
「すまんな……」
目尻をさげた弱々しい声で言う。
さよは笑って、
「何百回、同じことを言うんですか」
「俺は……さよの人生を狂わせてしまった」
さよの父・池田屋惣兵衛は、池田屋事件の際の傷がもとで亡くなっている。
「沖田様のせいではありません」
「俺が殺したのも同じだ。……なのに、さよは、こうして屯所に通ってきてくれる」
「当り前じゃありませんか。私たちは攘夷戦争に勝利したのち、夫婦になるのですよ」
お茶目な表情でいった。
「そんな日が……本当に来るのかどうか」
沖田は沈鬱な顔でうつむく。
さよはくすりとほほ笑むと、
「そんなに暗いお顔ばかりしていては、ますます病が悪化しますよ。本当にさよのことを思ってくださるなら、早く元気になって、またいろいろな場所へ連れていってください。それが何よりの、さよへの贈り物です」
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