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 その頃、屯所では土方が内戦勃発に備えて軍備の増強に余念がなかった。  言論戦で決着がつかなければ武力衝突になるのは必定。この頃、屯所は西本願寺から不動堂村(下京区堀川木津屋橋通下ル)に移っている。  近藤は幕閣としての職務に忙殺されているため、新撰組内の一切は土方に任された。 「摂政と直談判してきたぞ」 「親藩会議で、俺の意見に反論できる者は一人もいなかった」 「今日は慶喜公から直々(じきじき)にお褒めの言葉を賜った」  近藤は突然巡ってきた政治活動に夢中の様子で、屯所へ戻ると土方や沖田をつかまえては自慢話を延々と繰り広げた。 「愚直に思いのたけを訴えれば案外通るものだな。この調子なら、巻き返せるかもしれん」  実際、薩摩が画策した四侯会議は、幕府側の攻勢により成果を上げることなく解体に追い込まれている。 「こちら側の完全勝利だ」  近藤は快哉を叫んだ。  だが土方はそれを鵜呑みにはしていなかった。  政治とはそれほど甘いものではあるまい。今は一時的に言論戦で(まさ)っているように見えても、狡猾な薩摩と長州が次にどんな手を繰り出してくるか分からない。  最も恐れるのは新天皇を抱きこんで、武力に訴えてくることだった。 「その心配はないよ、歳さん。たとえ薩摩と長州が決起したって、他の西国雄藩はついてこない。実際、四侯会議は分裂してしまったじゃないか。この状況下で、新天朝が一方的に薩長に肩入れするはずがない」  近藤はそう言うが、 「最悪の事態を考慮しておきたい」  というのが土方の考えだ。 「そのためには、現在の九十五名では心もとない。新たな隊士を募集したいんだ」  伊東らの分派活動と茨木らの脱退によって、隊士の数は大幅に減少し、直近では百名を割り込んでいた。隊士一人ひとりが一騎当千(いっきとうせん)猛者(もさ)であることを考えれば、譜代の小藩に匹敵する力を有しているとはいえ、やはり数は力だ。  そして信頼できるのは、やはり関東の剣士に限る。   「江戸へ行ってくるよ」  と土方が言った。 「できるだけ大勢の新隊士を集めて連れ帰る。いつ(いくさ)になってもいいようにな」 「分かった。兵隊集めは歳さんに任せるよ。俺は政治の場で薩長の動きを封じ込める」  こうして、土方の江戸行きが決定した。  翌週、彼は二名の隊士を伴って京を発った。  しばらく屯所を留守にすることになるが、政冶が大きく動く局面はまだ先だと、土方は読んでいた。
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