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「慶喜様、大変でございます」  徳川慶喜は、密偵からの報告によって薩長の動きを察知した。  討幕の勅許を得ようと岩倉具視が朝廷内で暗躍しているというのだ。  すでに十五歳の天皇は取り込まれ、中山忠能と正親町三条実愛に対応が一任されているらしいとのこと。  中山忠能は天皇にとって祖父にあたり、右も左も分からぬ新天皇は中山に頼り切っているのである。   「おのれ、岩倉」  あわてた慶喜は、すぐさま密勅阻止に向けて動き出す。  中川宮(なかがわのみや)や摂政の二条斉敬(にじょうなりゆき)ら佐幕派公卿と連絡を取り合い、金品などを用いての切り崩しをはかっていった。  勅許がくだるかどうかは、天皇の意思というよりも、朝廷内の力学によって決する。  一旦、密勅が下ってしまえば、薩長の陣営に(にしき)御旗(みはた)がたなびくことになる。  水戸藩出身で幼少期に水戸学を叩き込まれた慶喜としては、天皇に弓引くなど到底考えられないことであった。  中山と正親町の動きを封じ込める必要がある。 「なんとしても密勅を阻止するのだ」  老中らに厳命をくだし、連日のように佐幕派公卿たちと協議を重ねる。  しかし、日に日に劣勢に追い込まれていく。  公卿たちの中には、「七百年ぶりに政権を武士から朝廷に取り戻せ」という、薩長が示した(あお)り文句に心躍らせる者が数多くいた。  その甘い蜜の前では、慶喜の切り崩し工作も効果は限定的であった。  このままでは、勅許がくだってしまうかもしれない。  いかにしてこの危機を脱すればよいだろう。  慶喜は幕府を支持する雄藩に助けを求め、広く意見を募集した。  その際に提出されたのが、前土佐藩主・山内容堂による起死回生の一手であった。
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