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      「横浜の様子はいかがでございます?」  将軍後見職・一橋慶喜は、上洛した九歳年下の将軍家茂に対し、(へりくだ)った物腰で話しかけた。  この二人は、十四代将軍の座を巡って激しく争った間柄である。  家茂を推す大老・井伊直弼(いいなおすけ)に対し、水戸藩や薩摩藩は一橋慶喜を推薦。  その時は井伊側(家茂側)が勝利し、反対派の弾圧(安政の大獄)が行われたが、井伊が桜田門外の変で殺害されると立場は逆転。  今度は薩摩の島津久光が江戸へ乗り込み、一橋慶喜を将軍後見職につける幕政改革を行なった。  かように互いの後援者は争いに明け暮れたわけだが、慶喜と家茂は決して仲が悪いわけではない。親戚筋ということもあり、互いに協力してこの難局を切り抜けようと考えている。  だがどちらかといえば、年上の慶喜に主導権が移りつつあるのは事実である。 「どうもこうもない。エゲレスは本気です。犯人引渡しと賠償を拒絶すれば、間違いなく(いくさ)となるでしょう」  家茂は慶喜に対し、タメ口と丁寧語が入り混じった話し方をする。  昨年突如後見役として江戸城に乗り込んできた年上の親戚に対し、どう対応すればいいか決めかねている様子だ。  慶喜は腕組みをし、首を左に振って「どう思う」と同席している二人の老中に問いかけた。 「エゲレスと戦えば、我が国は破滅です」  そう言ったのは板倉勝静(いたくらかつきよ)である。 「天朝の前で攘夷の約束などとんでもありません」 「なんとか十日間返事を引き延ばし、うやむやにして立ち去るよりほかございませぬ」  もう一人の老中・小笠原長行(おがさわらながみち)も同意見だった。 「しかし、さような方便が通用しますかどうか……」  この会議にはもう一人、京都守護職の会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)が出席している。  京の治安が悪化し、奉行所や京都所司代だけでは手に負えなくなったため、新たな治安組織として設けられた要職だ。  就任に際しては、家臣団から「薪を背負うて火に飛び込む如し」と辞退を促す声が続出した。  下手をすれば藩が傾きかねない危険な仕事なのだから当然だ。  それでも容保は「義」のため、決死の覚悟で引き受けた。
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