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「そうなればいいがな」 「なりますって。長州の連中の話では、近々大樹公に対して朝廷から正式な勅命が下るそうです。江戸ではなく、大坂の摂海(せっかい)において攘夷を断行すべしと」 「本当か?」  井上源三郎が身を乗り出す。 「大樹公を江戸へ帰すと、またのらりくらりと言い訳しながら攘夷の先延ばしを(はか)るかもしれないので、エゲレス艦隊を摂海に呼びつけて、天朝の目の前で攘夷を断行させる計画のようです。それなら大樹公も逃げられませんからね。昨日、池田屋で長州の連中から仕入れた最新情報です」  沖田はこのところ、連日のように、長州藩士の定宿である三条木屋町の旅籠・池田屋に入りびたり、長州の志士たちと交流を図っている。情報収集のためだ。  人懐っこく、相手の懐に飛び込むのがうまい沖田には、うってつけの仕事といえる。 「長州と朝廷は上手いこと考えたものだな。確かにそれなら大樹公も腹をくくらざるを得ない」  近藤が感心したようにいった。 「ですから、市中見回りの仕事は、芹沢さんがいうように適当にやってりゃいいんです。すぐに攘夷実行です」 「これでまたやる気が湧いてきた」  近藤が生気を取り戻したように瞳を輝かせる。 「沖田のおかげで、京の最新情報を得ることができる。本当に助かってるよ」  労をねぎらうようにいった。  これまで、剣術の稽古には熱心だが、それ以外のことには無頓着だった沖田が、人が変わったように諜報活動にいそしんでくれている。  そのことに、近藤と土方は感謝の念を抱いていた。 「いいえ。当然のことをしているまでです。これからも池田屋に通って、長州の動きを追いつづけたいと思います」  沖田は生真面目な顔で述べた。  それを見て、藤堂と斉藤の二十歳コンビが意味ありげにくすくす笑いはじめる。可笑しくてたまらない様子だ。 「なんだ?」  近藤が気になる様子で訊ねた。 「いえね」  藤堂が笑いながら口を開く。 「沖田さんが池田屋に通いつめているのは、なにも情報収集だけが目的ではないんですよ」  言って、隣の斎藤を見る。 「なあ」    斎藤が悪戯っぽい瞳でうなずく。 「実は、沖田さん……池田屋の一人娘にぞっこんなんです」 「なんだと」 「馬鹿!」  沖田は慌てたように両手を顔の前で激しく振った。  顔が真っ赤になっている。 「そんなんじゃねえよ」  「情報収集そっちのけで、その()を口説くのに大忙しで」 「ち、ち、違います。そんなんじゃありません。私はただ、近藤先生や土方さんに京の最新事情をお伝えしたいとの思いから……」 「分かりました、分かりました」  藤堂と斉藤が、沖田の肩をぽんぽん叩く。  永倉がにやりとほくそ笑んで、 「いい女なのか?」 「そりゃあもう、色が白くて、富士額(ふじびたい)で、京でも評判の別嬪(べっぴん)です」  斎藤が答えた。 「そりゃあ、是非会ってみたいな。紹介してくれよ、総司」 「永倉さん、やめてください」 「俺も見たいな、京美人」  と山南がいった。 「尽忠報国の士が何を言ってるんです」 「尽忠報国の士だって、いい女は好きさ。ねえ」
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