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 山岡は出発前の危惧が現実のものになりつつあるのを感じた。  やはり前科者やお尋ね者、ヤクザに入獄者まで隊士に加えたのは誤りであった――。  そもそも浪士組は、山岡が清河八郎(きよかわはちろう)と組んで仕掛けたものだ。  直参旗本でありながら幕閣が推し進める開国路線に反対し尊皇攘夷の志に燃える山岡は、江戸で儒学と剣術を教える清河塾の主宰者・清河八郎の門弟となり、彼を盟主に「虎尾(こび)の会」を組織。横浜外人居留地を焼き討ちする計画を立てた。  だが直前に密謀が漏れ、清河は幕府の捕吏を斬り殺した咎で殺人犯として追われる身となった。清河自身は逃げおおせたものの、連座制で弟や妻、さらに池田徳太郎(いけだとくたろう)ら同志が投獄され、虎尾の会はあえなく解散の憂き目に遭う。  山岡は投獄こそ免れたが、幕府の厳しい監視下に置かれた。  ところが昨年から、時代の空気が一変し、追い風が吹き始めた。  幕府が孝明天皇の反対を押し切って結んだ日米修好通商条約――日本側に関税自主権がなく、治外法権を認める不平等条約――によって(きん)の流出と物価の高騰という経済的混乱が現出。民衆は幕府の政権運営に怒り、呆れ、条約を破棄して攘夷を実行すべしとの感情論が一気に沸騰した。  武士も町人も農民も、猫も杓子も尊皇攘夷を唱える有様で、幕府内部にすら尊攘派の武士が大量発生する事態となった。  そんな折、朝廷から幕府に対し、 「将軍は上京して孝明天皇の前で攘夷の実行を約束せよ」  との命が下った。  それに逆らうだけの力を幕府はもはや有しておらず、十四代将軍家茂の上洛が決定。  山岡は、将軍の警護役として京へ上る「浪士組」の結成を幕府に提言し、実質的な責任者の任についた。
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