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孝明天皇の正式な勅命が鷹司関白を通じて幕府に下されたのは、三月十七日のこと。
内容は――、
〈将軍家茂は京都で攘夷の具体的作戦を立案し、生麦事件の賠償と犯人引渡しを求める英艦隊に対しては、摂海(大阪湾)に呼びつけ、断固として要求を拒絶せよ。万一戦争が起こった場合は将軍自らが指揮を執れ〉
幕府をがけっぷちに追い詰める、渾身の最後通告と言えた。
若き将軍が恐慌に陥ったのは言うまでもない。
「どうしよう、慶喜殿。どうすればいい」
年上の後見役に縋るように訊ねる。
家茂の心理的負担はこの時、極限に達していた。
英国艦隊からは、五月四日までに賠償金を支払わなければ砲撃を開始する、と通告を突きつけられている。
「弱りましたな」
慶喜とて、妙案は見出せなかった。
「逃げよう」
家茂が言った。
「は?」
「京から逃げるのじゃ」
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