1

6/10

17人が本棚に入れています
本棚に追加
/91ページ
 孝明天皇の正式な勅命が鷹司(たかつかさ)関白を通じて幕府に下されたのは、三月十七日のこと。  内容は――、 〈将軍家茂は京都で攘夷の具体的作戦を立案し、生麦事件の賠償と犯人引渡しを求める英艦隊に対しては、摂海(大阪湾)に呼びつけ、断固として要求を拒絶せよ。万一戦争が起こった場合は将軍自らが指揮を執れ〉  幕府をがけっぷちに追い詰める、渾身の最後通告と言えた。  若き将軍が恐慌に陥ったのは言うまでもない。 「どうしよう、慶喜殿。どうすればいい」  年上の後見役に(すが)るように訊ねる。  家茂の心理的負担はこの時、極限に達していた。  英国艦隊からは、五月四日までに賠償金を支払わなければ砲撃を開始する、と通告を突きつけられている。 「弱りましたな」  慶喜とて、妙案は見出せなかった。 「逃げよう」  家茂が言った。 「は?」 「京から逃げるのじゃ」      
/91ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加