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               五月十日――。  勅命により、幕府は大坂の摂海において、諸藩はそれぞれの領地において、攘夷戦争に突入する日となった。  まず先陣を切ったのは長州藩である。関門海峡を通過する外国船に対し砲撃を開始した。  それに続けとばかり、幕府や雄藩も外国船に向けて一斉に攻撃を開始する――はずだった。  だが、実際にはそうはならなかった。  ほとんどの藩が外国と戦うことに腰が引けていたのだ。  藩主が、待った、をかけたのである。    幕府もまた攘夷を実行することが叶わなかった。    なぜなら英国艦隊が摂海に現れなかったからだ。  実はこの時、江戸へ戻っていた老中の小笠原長行が、勝手に賠償金十一万ポンドを支払い、イギリスと和睦を結んでしまったのだ。  やむなく将軍一行は五月十一日に大坂を発ち、京の二条城へと戻った。  壬生の八木邸に帰還した試衛館一門は怒り狂い、江戸の幕閣への憎悪を露わにする。 「大樹公の意向を無視して独断で和睦を結ぶとは言語道断」 「小笠原は腹を切れ!」 「江戸の幕閣に男子はおらぬのか!」  彼らだけではない。全国の一般民衆が幕府の弱腰外交と諸藩の腑抜けぶりに痛烈な批判を浴びせかけた。  一方で、ただ一藩のみ攘夷実行に踏み切った長州藩の大勇を、口を極めて賞賛した。 「さすが長州は違う」 「長州だけが真に尊王攘夷の志士である」 「日本男児の真骨頂は長州に極まれり」  長州株は一気に高騰を見せ、世論は圧倒的な長州支持、長州賛美へと傾倒していった。
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