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   大坂から八木邸に戻ったこの日、夜遅くまで熱い議論を交わす試衛館一門とは対照的に、芹沢一派はほとんど何の話し合いも行われることなく、早々に就寝してしまった。  首領の芹沢が帰京してすぐ布団に潜り込んだため、他の者たちもそれにならったのだ。    そして、翌日から芹沢の様子が明らかに変わった。  もともと性格的にわがままで独善的なところはあったが、残留浪士組のトップとしての自覚を持ち、時に責任感のある所も見せていた。  組の全体会議は芹沢が仕切り、お上への嘆願書などの署名は彼の名が近藤より上位に記された。  ところがこの日を境に、人格が崩れたように朝から酒の匂いをぷんぷんさせ、酔っていない時がないくらい、始終赤ら顔で過ごすようになった。  暴力やわがままが増大する。  結果、各所で問題を引き起こした。街中で、遊郭で、商家で、所かまわず暴れるものだから壬生浪士組の評判は一気に地に堕ちる。  やがて市中見回りの仕事をほとんど放棄し、商家から金銭を強請り取るなど私腹を肥やす行為に熱中するようになる。  堪りかねた会津藩からたびたび叱責を受けるも、まったく懲りる様子はなく、ついには屯所内で商家の妾を強姦する事件まで引き起こした。  しかし、誰一人注意できる者がいない。  近藤が芹沢に頭が上がらないため、他の者も口を噤むしかなかった。  土方と山南が時折喧嘩腰で意見することはあったが、他の面々はほとんど沈黙を守り、見てみぬ振りをつづけた。  それどころか、芹沢とつるんで悪事に加担する試衛館一門まで現れる始末である。  永倉新八と原田左之助のふたりだ。  彼らは攘夷のできない鬱憤を、芹沢一派とつるんで街中で暴れることで解消していた。  これでは不逞浪士と何ら変わらない。
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