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 その頃、政局は大きく動いていた。  勅命に逆らって独断で英艦隊に賠償金を支払った小笠原長行が、軍を率いて船で京へ攻め上ってきたのだ。力づくで将軍を奪い返そうとの策謀である。  同じ頃、一橋慶喜は朝廷に対し、一通の書状を送っている。内容を要約すると次のようになる。 「自分一人の力では、もはや老中・小笠原長行の勝手な振る舞いを制御することができません。彼はあろうことか、天朝のおわします京へ攻め上るという蛮行に手を染めてしまいました。それを防げなかった責任をとって、私は将軍後見職を辞任させていただきます。私の非力ではどうにもなりません。どうか大樹公を一旦江戸へお戻しいただけませんでしょうか。大樹公以外に、小笠原の愚行を制御できる者はいないのです」  これは、慶喜と小笠原長行が示し合わせた上でおこなった、一世一代の大芝居だった。  家茂と慶喜は攘夷に邁進したいのだが、小笠原の反対でそれがかなわないという筋書きを作り上げ、全ての罪を小笠原に被せた上で、京の二条城に監禁されている将軍を奪還する。  奪還に成功した後、小笠原に腹を切らせる形をとれば、朝廷への申し開きは立つ。  小笠原による武力恫喝と、慶喜による手紙での泣き落とし。  硬軟両面によって、家茂を江戸へ連れ戻す作戦だった。    それに対し朝廷は、 「左様な仕儀であれば致し方ない。将軍はすみやかに帰府の途に就くように」  との返答をくだし、あっさりと家茂の解放を決めた。  慶喜と小笠原の策略が功を奏したのである。  二条城の家茂が歓喜したのは言うまでもない。 「小笠原長行は江戸へ戻り次第処罰いたします。開国派の幕閣連中を説得し、必ずや攘夷を断行してご覧にいれます」  そう誓約し、孝明天皇の気が変わらぬうちに急いで帰途についた。  
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