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「芹沢さん。なにも近藤さんはわざと忘れたわけじゃありませんよ」  山南敬助が弁護するように言う。  芹沢は鉄扇を閉じ、獣のような鋭い眼光をぎろりと向けた。 「多摩のドン百姓が、部屋割り一つ満足にできんのか」 「なんだと!」  永倉と原田が挑みかかろうとするのを、「よせ」と山南が制止する。 「俺が悪いんだ」  近藤が言って、二人に自制を求める。  だが永倉は怒りが収まらぬ様子で、 「今の言葉、撤回してください」  と芹沢に迫った。  芹沢は悠然と鉄扇で肩を叩きながら、 「多摩のドン百姓――。何か間違いがあるかな?」  にやけた顔で周囲に問いかける。  新見錦以下四人の配下が、どっと(あざけ)るように笑声を発する。 「近藤さんは、天然理心流・試衛館(しえいかん)道場の道場主です」  山南が、まっすぐの視線で言う。 「芋道場の百姓剣法か。竹刀の代わりに鍬で戦うそうじゃないか」  新見錦が最大限の侮蔑を投げつけた。これにはさすがに温和な山南も顔を紅潮させた。 「なんだと」  全員が刀の柄に手をかける。 「よせ。頼む」  近藤が腰を折って、同志たちに頭を下げた。 「頼むから、こらえてくれ」  言って振り返ると、芹沢の目の前で膝を折り、両手をついて土下座の姿勢を取った。  「申し訳ありませんでした」  額を地面にこすりつけ、恥も外聞もかなぐり捨てた様子で許しを乞う。 「どうぞ、相模屋にお入りください」 「相模屋?」  芹沢の右眉尻がぴくりと吊り上がった。 「私どもが泊まることになっている宿です」  芹沢は鉄扇を持っていない左手を顎の下にあてがうと、 「すると、何かい」
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