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十九歳。僕と沙羅は高卒で就職し働いていた。
沙羅は高校時代から付き合っている彼氏と今も続いている。ある日の夜「ちょっと散歩しない?」と沙羅は僕を外に連れ出した。
近所の公園までくると足を止め、沙羅は夜空を見上げた。
「ねぇ、由羅、九年前を覚えてる?」
そりゃあね、あの壮絶な惨劇を忘れるわけがない。「覚えてるよ」と僕は答えた。沙羅はずっと空に顔を上げている。
「なぜ、空は変わらないのに人の心は変わってしまうんだろう」
沙羅が何を言おうとしているのか、僕には分かった。だてに家族をやってないからだ。沙羅が空から僕に顔を向ける。街灯に照らされた彼女の顔は酷く歪み涙に濡れていた。
ああ……もう僕は、沙羅の一番じゃない。
砂土に両手をつき、泣き崩れる沙羅。その姿を見て僕は決意を固めた。大好きな人を悲しませるのは嫌だ。
「沙羅、黙ってたけど、実は僕にも恋人がいるんだよ」
「えっ?」
沙羅は目を丸くして顔を上げる。
「嘘だよ」
「本当だよ」
「信じられない!誰?」
誰って…。女で友達なんて瑞樹しかいない。僕は彼女の名を告げた。でも、沙羅は疑い深く信じてくれない。「瑞樹に会わせろ」と言った。
弱り果てた僕は迷った末、瑞樹に連絡し事情を説明。すると彼女は快く引き受けてくれた。
沙羅と瑞樹が会ったのは、それから一週間後のこと。家に彼女を招き、沙羅に紹介した。
沙羅は「久しぶりだね、瑞樹」と微笑んだ。沙羅と瑞穂が会うのは中学以来。沙羅は瑞樹と機関銃のごとく喋りまくっている。
その夜、やっと信じたのか、沙羅は僕にこう言った。
「誕生日、瑞樹に殺して貰いなね」
勿論、そんなことできるわけがない。
二十歳の誕生日の朝。僕は朝靄の中に立ち、家族に別れを告げた。今日の零時ジャスト、僕は死ぬ。
あてもなく歩いていると、背後から肩を叩かれた。振り返った僕は驚愕した。瑞樹が立っていたからだ。
「今日、二十歳の誕生日でしょ?おめでとう」
「あっ、うん。ってか何でいるの?事情は話したよね?」
「うん、知ってるよ。だからきた」
「誕生日、二人でお祝いしようよ!」
と、笑顔で手を引く瑞樹。僕は唖然としながらも彼女に従った。
電車に乗り、向かったのは遊園地。早く到着したので少し開園時間を待って入園。コーヒーカップをグルグル回しながら瑞樹が楽しそうにハシャぐ。その顔を見ていたら。心の中、豪雨の空に晴れ間が見えた。
いつもそうだ。彼女は僕に光明を差して元気をくれる。悩んでも、現実は何も変わらない。吹っ切れた僕も瑞樹と一緒に楽しんだ。
次はジェットコースターで絶叫。途中、ランチタイムで会話に花を咲かせ、午後はお化け屋敷で怖がる彼女の手を引いた。様々なアトラクションを回り、最後は観覧車に乗った。
頂上まで、後少し。すっかり暗くなった街には宝石箱をひっくり返したような夜景が広がっている。
「綺麗だね」
窓に張りついて眺めていると、向かい席に座っている瑞樹が立ち上がった。
「横に座ってもいい?」
「ん?いいよ」
座るスペースを開くと彼女は腰を下ろす。
「ねぇ、そのままで聞いて欲しいことがあるの」
「えっ?なに?」
「あっ!恥ずかしいからこっち向かないで!」
「ごめん」
慌てて顔を戻す。すると背後から声がした。
「私ね、中学から好きな男の子がいるの」
「えっ?誰?」
「教えない」
「あっ、そ」
「ずっと片想い」
「両想いかも知れないよ?告白してみたら?」
「両想いは絶対ない。その男の子には好きな女の子がいるって知ってるから」
「でもね……」と彼女が言った後、何やらゴソゴソと音がする。直後、背中に強烈な衝撃と火傷しそうな熱さを感じた。
何が起きたのか分からない。振り向くと、包丁を前方に構える瑞樹が立っていた。
「私が由羅君に寿命をあげる!だからアナタは生きて!」
「なっ!」
背中がドクンッと波打ち力が入らない。彼女は高く上げた包丁を振り下ろす。グチュッと鈍い音。これは過去に二回聞いた音。
刃先は何度も何度も僕の身体に抉るように突き刺さっては引き抜かれてゆく。段々と薄れゆく意識の中で、僕が見たのは彼女の涙だった。
「由羅君、愛してる」
狭く、更に狭く横線になった視界が深く黒く染まる。その黒は液体のように揺れていた。どこからか白い絵の具が大量に混じる。灰色になり、灰色が白になった瞬間、僕は目を開いた。視界を塞いだのは見知らぬ中年男性。緑色の制服を着た男性が口を開く。
「状況的に、アナタ観覧車で殺されましたね?」
「殺された……」
「ええ、もう消えましたけど、ドアを開いた瞬間、血の海で刃物を持った女性が飛び出して行きましたから」
『由羅君……愛してる』
その声と同時に、浮かぶ瑞樹の泣き顔。僕はガバッと飛び起き地を蹴ると全速で走った。
僕は大バカ野郎だ!何年、彼女を見てきた?何年、彼女と語り合ってきた?
『このマンガ本の新刊買っちゃった。由羅君、好きでしょ?貸してあげてもいいよ』
本は売り切れで、予約してだいぶ待たなきゃ買えなかった本だ。
『うん、私も前からあのアニメ大好き。ってか何曜日の何時から放送?』
あのアニメ好きってヤツが放送時間知らないっておかしいだろ?
『この前、由羅君が読んでた小説これでしょ?前から私も好きなんだぁ〜』
本当かよ?そのわりに本から新品の匂いがしたぞ!
自分の好きなアニメキャラ、飲み物、好きなお菓子に焼きそばパン。みんな全部、僕だらけ!なぜ気づかなかった?良く瑞樹を見てれば気づけただろう?
もう、どこを探しても閉園間近の敷地内に彼女の姿はない。追いかけようにも、僕は彼女の携帯ナンバーも家も知らない。
トボトボと歩くスニーカーは酷く頼りない。帰宅し、玄関扉を開いた途端、待ち構えていたように沙羅が表れた。
「知ってたよ」
「えっ?」
「瑞樹から聞いて全部知ってた」
「そっか」
大きく項垂れた僕に沙羅が言った。
「で、どうするの?」
「どうするって、僕には何もできない」
「そう。一応伝えとくけど、明日、彼女の誕生日だよ」
瑞樹の誕生日。それを知った瞬間、爪先から火柱が立った。火あぶりされたみたいに熱い、全身が痛くて呼吸も絶え絶えになる。
沙羅が白い紙を目前に差し出した。
「これ、瑞樹のアパートの住所」
「かっ、彼女から聞いたのか?」
「違う。中学の友達に片っ端から連絡して、今も瑞樹と繋がってる同級生を見つけたの。で、その娘から聞いた」
すぐ瑞樹に会いたい。だけど……。握る拳に力がこもる。僕は俯いた。
「僕は彼女を愛してない」
「うん、それで?」
「彼女に会ったって何もしてやれない」
「じゃあ、この紙は無駄だね」
ビリッと紙を破る音。僕は慌てて沙羅の手を掴んだ。
「やめろ!」
「だって、瑞樹に会わないならこの紙は必要ないでしょ?」
「そうじゃなくて!」
「じゃなくて、なに?」
「……じゃなくて、僕は彼女に死んで欲しくない。その気持ちだけは誰にも負けない」
「だったら」
沙羅は僕の手に破りかけの紙を捩じ入れ両肩を思いっきり叩く。
「迷わないで行きなよ!」
「でも、行ってどうするんだ?」
「そんなこと、彼女に会ったら考えればいい!」
そのまま外に向かされ背中をドンッと押される。ヨロけながら路上に出ると、足が勝手に走り出した。
何度も迷いながら瑞樹のアパート前に辿りついた時は、もう午前零時を回っていた。古びた木造二階建て。錆びた階段を上がる時、心がシクシクと痛んだ。
この場所で、彼女は一人で……。
202号室が瑞樹の部屋だ。おそらくキッチンの窓だろうスリ硝子は真っ暗。扉をノックするも留守のようだった。
扉に背をあて体育座り姿勢で彼女の帰宅を待つ。今日は瑞樹の誕生日。どうか二十四時までに帰ってきて欲しい。そう願いながらじっと待った。
瑞樹がようやく姿を見せたのは二十三時を回ってからだ。彼女は「なんで?」って言ったまま下を向く。
返り血の消えた白いワンピース。昨日と同じ格好。ずっと外にいたのは明らかだ。
「とりあえず中に入れて」
僕がそう言うと瑞樹はドアノブに鍵を入れて回した。
瑞樹の部屋は本棚とテーブルしかない質素な六畳間。空気が僕に『寂しい』を訴えてくる。
「由羅君?」
長い黒髪が揺れた。振り返り首を傾げる瑞樹。
「泣き声……なんで泣いてるの?」
「くっ……」
こんな気持ち、僕は知らない。心の根っこがどこにあるのか分からない。
手に持ったスマホに視線を落とす。二十三時三十二分。もう時間がない。
僕は彼女を真っ直ぐ見据えた。
「君を殺させてくれ」
瑞樹の表情が歪んで瞳が揺れる。
「なんで?」
「君を殺したい」
「だから何で?」
「知るかよっ!」
僕は畳にスマホを投げ捨て、彼女の細い首を両手で掴んだ。決意した指が動き、首をどんどん圧迫してゆく。
「うっ、ぐぅっ!」
鈍いうめき声。瑞樹の手が僕の腕に絡みつく。彼女の爪が肌を引っ掻いて、僕に『苦しい』と絶叫している。彼女の眼鏡がズレて落下する。僕の眼鏡も現実から逃げるように滑り落ちた。早く楽にしてやりたい。僕は首をへし折り千切れても構わない勢いに締め上げた。
それは、彼女が倒れても馬乗りになり続く。
後方で音がした。両足が高く跳ね上がって畳を打っている。顔なんて見れない。固く目を閉じ息絶えるまで僕は締め続けた。
間もなく瑞樹の動いていた足が止まり、僕の腕を掴んでいた両手がダラリと伸びて畳に落ちる。両目を開き、僕は彼女に顔を近づけ様子を見た。白眼、半開きの口から唾液泡が垂れている。呼吸は完全に止まっていた。
「ハアハア」
額から落ちる汗が目に染みて痛い。もはや睫毛ではバリアにならないほど大量の汗が首まで滴り落ちている。僕は彼女の身体から横にズリ落ちると膝を抱えた。
僕の……僕の命を捧げます。だから神様、お願いだ!瑞樹を……彼女を助けて!
この感情が愛ならいいのに。愛なら彼女を救えるのに。
僕は祈りながら瞼を落とした。
◆
五年後。僕は歩道を全速で走っていた。退社直前、彼女から連絡があったからだ。
「妊娠した。どうしよう」
「バカか、お前、僕たち夫婦だぞ!産むに決まってんだろ!」
ったく、一瞬でも迷った彼女が腹立たしい。
二人の新居であるマンション扉を開くと、そこにはエプロン姿で笑顔の彼女がいた。
「おかえり」
「おかえりじゃない!どうしようってなんだよ!」
「ごめん、愛されてる自信がいまいち持てなくて言っちゃった」
「はあ〜」
僕は嘆息すると彼女の手を引き抱き寄せた。
「ちゃんと愛してますよ、奥様」
「また、チャカして。ちゃんと言ってくれなきゃ分からない」
ムクれる彼女の後ろ髪を撫でながら僕はニヤリと笑んだ。
「愛してるなんて言葉だけで満足?」
「えっ?」
「五年後、キッチリ証明するから待っててよ」
「あっ、えっ」
顔を上げた彼女の頬を両手で包むと、みるみる頬が紅葉して面白い。
どうやら僕の妻、瑞樹は愛を疑うクセがある。耳に唇を寄せて囁いた。
「ね、これ以上はないだろ?」
生と死。白と黒。黒くならなきゃ白は生きられない。
家族愛と違う、恋愛の深さを知った僕が、五年後だけじゃなく、十年ごとに最上級な愛で君を殺してあげる。どちらかが不慮の事故か病死か、共に老いて永眠を自然心理で決めるまで……。
こんな残酷な世界で僕らは生きている。だけど、ここは虚偽の通じない愛が生を決める世界。これも事実だ。
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