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ソラとゆったりと過ごしながら、3日が経った。 時間がある時に残されていた日記を読んだりファイルを見たりネットで調べたりして色々なことが分かってきた。 書かれていることが本当なのであれば、父もまた被害者なのかもしれはい。 俺の父は27年程前、病院で研修生として働いている時に看護師の母と結婚。そして俺が生まれる。 その数年後、施設長であり事件の主犯である男と出会う。 そいつに言いくるめられ、病院を退職し施設で専属の医師として働くこととなる。 その頃には、家族への危害を仄めかす形で脅されてもいたようで父は家族の元を去っていた。 しばらくは父も普通の施設だと思っていたようだ。 父は医務室から殆ど出ることを許されなかったし、やっていたのは雑用が殆どでたまに怪我をしたり熱が出た子の治療をし、大怪我の際には応急処置をして病院へ行くように伝え、職員の元へ帰していたようだ。 ただ、施設専属の医師としては法外なお金が貰えるので不可解には思っていたと記されていた。 そして20年前、もう産まれそうだからとソラを取り上げたのも父。その時も産婦人科への受診をすすめている。 長い年月が経ち、次第に連れて来られる子どもたちの怪我が酷くなっていったこと、病院へ行った形跡がないことから違和感を覚えはじめた父が、施設長を問い詰める。 そうして、恐ろしい事実を知った。 施設の子たちを使って、あまりに酷い内容の映像が撮られていたのだ。 作られた動画やビデオは裏ルートで販売され、金持ちのマニア達によく売れたらしい。 AVを撮られ、販売された順番に”1番””2番”などと不快な名前が付けられていることもこの時初めて知ったようだ。 だが、結果的には家族を引き合いに出されて脅され、その頃には父は逃げられなくなっていた。 その数年後、自分に病気が発見される。 かなり進行しており、もう発見された時には手遅れで余命も3ヶ月ほどだった。 そして父が動くきっかけとなった日。 この日のことも手記にしっかりと記されていた。 『正確な日にちまでは覚えていないが、2番が産まれたのは20年前の秋頃だった。 秋の終わり、彼がハタチになったのだということは把握していた。 そんな2番が、ある日医務室へ運ばれてきた。 彼は全身血だらけで、後孔からは精液が溢れていた。 爪が剥げており、とてもこんなところで治療するには限界だった。 あまりの姿に震えていると、2番は私を見て純粋な目でこう言った。 「みなと、寒い?大丈夫?」 自分は死んでいてもおかしくないであろう怪我を負いながら、それでもなお他に目を向ける2番を見た時に、私は何て愚かなことをしたのだろうと思った。 2番の頬に触れ一度優しく撫でると、私は外へと走り、携帯電話で警察と救急車を呼んだ。 衝動的行動で、この時は家族を使って脅されていることは一瞬頭から抜けていた。 結果的に施設関係者は全員捕まったし、当初いた子達は全員保護された。 もし誰か逃げ出していたら脅されていた通り私の妻や息子が危険な目に遭っていたかもしれない。 家族に危害が及ぶことが怖くて、黙っていた。 申し訳ない。私は本当に大変なことをした。 もっと早く、救ってあげることができたはずなのに』 そこには、ただただ父の後悔が綴られていた。
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