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解れぬ心
和泉は、新の助言を受けて、住民票を月華堂に移した。
「すっかり忘れてた…」
「そんなもんだよ。でも、あれから来ない?あの人」
和泉は、新から母親をあの人と言われ、心が軽くなる。
「はい。あれ以来、来ることはありません。連絡手段も断ちました」
「良かった」
「その節は、ありがとうございました。もう用はないですよね?」
「…和泉ちん、そんなあけすけに追い出さなくても…」
「だからその呼び方、やめてくださいってば!!」
「ねー、和泉ちん。俺って、そんなに赤の他人?」
「赤の他人だし、今だにどうして関わるのか分からないし、重い」
「重い!?」
新との掛け合いに、だんだん和泉のイライラが募っていく。
「じゃあ、今日は帰る。また来るね~」
こう言って、今日も新は和泉の機微を察して、さっさと引いて帰っていく。
「…」
和泉は、このところ自分の心の裡に戸惑っていた。
新が店にやって来るようになって、もう随分経つ。
1ヶ月の休暇なんて、とうの昔に過ぎ去って、
仕事はどうしてるのかと思うほど、頻繁だ。
こうも頻繁に顔を合わせていると、新の人となりが分かる。
だけど、いい人と思っていても、裏切ってくるのが人間だ。
恋人も、親友も、両親も妹も。
和泉の一番近しい人からの裏切りは、和泉の心を思いの外深く傷付けた。
そんな心は、赤の他人を受け入れる容量が無かった。
そんな日々を過ごしてきたある日、新が珍しく神妙な面持ちでやって来た。
「……いらっしゃいませ。お客様ではないですが」
「…うん。ごめん…早雲さんにお参りさせてもらっても、いいかな?」
いつもと明らかに雰囲気が違う新に、
「どうぞ」
和泉は、自宅の仏間に案内した。
新は、いつかのように、早雲と会話を交わすように、仏壇に手を合わせた。
やがて、和泉に向き直ると、淡々と自分のこれからを伝えてきた。
「和泉ちん。俺、来週から海外」
「…はぁ、そうですか」
「一旦出ると大体、年単位で帰って来れない」
「…」
「だから、はい」
そう言って、名刺を一枚差し出した。
そこには、会社の名前と連絡先。
「これをどうしろと…」
「和泉ちんの連絡先を教えて」
「嫌です」
「即答しないで?」
新は、乾いた笑みを浮かべて立ち上がる。
「じゃあ、いつでもいい。何かあったら連絡して?何時でも何処でも、和泉ちんの好きな時に」
それじゃあと、最後に和泉の頭を、優しくぽんぽんと撫でて、
新は仏間を出ていく。
その後姿を、和泉は何だか名残惜しそうだと感じた。
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