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忍び寄る影
×××
トゥルルル……
唐突に鳴り響く、携帯の着信音。
画面を見なくったって解る。だってこれは、竜一専用の携帯だから。
小さなテーブルの端に置かれた携帯を拾い、慣れない手つきで通話ボタンを押す。
『……おぅ、さくらか』
僕の鼓膜を震わせる、低くて甘い声。ただそれだけで、ゾクゾクと心が震える。
『今からソッチに行く。待ってろ』
ツー、ツー、ツー、
僕の返事も待たず、一方的に切られる通話。……こういう所は、竜一らしい。
「………ん」
もう届かないけれど。携帯を握り締めたまま小さく返事をする。
竜一が用意してくれたアパートに越して、約一ヶ月。竜一は事務所の方に身を置いているらしく、この部屋には実質僕しか住んでいない。
それでも。こうして時間を割いて、時々会いに来てくれるから。……淋しくなんか……
「……」
携帯をそっとテーブルに置き、台所へと向かう。
フリーザー付きの小さな冷蔵庫。ドアを開け、その中身に溜め息をつく。
……何もない……
そんなの、最初から解ってはいたけど。残り物の食材でどうにかできるレベルじゃない。
以前は、竜一が来た時の為にと食材を買い揃えて、作り置きまでしていたのに。
きっと、忙しいんだろう。そこまでの時間が取れない事が多くて。僕もあんまり食べる方じゃないから、腐らせてしまった事があってから……つい……
心の中で言い訳がましい事を呟きながら、部屋へと戻る。風に吹かれ、揺れるカーテン。ベランダ窓の外を仰げば、空が黄昏れ色に染まっていた。
「……」
今から、何か買ってこようか。
近くのコンビニまでなら、間に合うよね……
そう思い立ち、部屋着のまま鍵と財布を掴むと、サンダルを突っ掛けてアパートを飛び出した。
裏路地を抜け、大通りに出て直ぐ右手にある大手コンビニ。その店の脇を通り正面の入口へと向かう途中、ガラス壁に薄らと自分の姿が映っているのに気付く。
「……」
胸元の大きく開いた、薄手の白いカットソー。ジーンズ生地のショートパンツ。
いくら今日暑かったとはいえ、真夏のような格好のまま出てきてしまった事に、少し後悔する。
店に入ると、数人の客がレジに並んでいるのが目に付いた。
列が捌けるのを待ちながら店内をぶらぶらとしていれば、大型冷蔵庫のアルコール飲料棚が目に付く。
「……」
竜一、ビール飲むかな……
想像してみて、違和感の無さに少しだけ口元が綻ぶ。
ガラス越しに、竜一に似合いそうなデザインの缶を選んだ後、ガラス扉の取っ手に指を引っ掛ける。と、目に飛び込んできたのは、『未成年者 飲酒禁止』の警告シール。
「……」
もし僕が、竜一みたいに大人っぽかったら……
いっそ、父に頼まれたとか。久し振りに会う父に、どうしてもビールを用意したくて、とか訴えてみようか。もしかしたら、売ってくれるかもしれない……なんて。馬鹿な事を考えてしまう。
扉を開け、仕方なくノンアルコールのビールを二本取り出し、レジへと向かった。
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