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遥か後世に竪穴式住居と呼ばれることになる住まいは、中央に煮炊き用の火場があり、同時に暖をとって、冬の夜はその周りで家族で丸まって眠る。ここは、これまたはるか後の世に武蔵野と呼ばれる地帯の一角で、川を下手に見る高台の集落だった。
クヌギや楢の木が集落を覆い、夏場は優しい木陰を作ってくれるよい土地だ。
川に幼子を突き落とすのは、祓い清める儀式であると同時に、泳ぎの手ほどきをする訓練の始まりでもあった。それはいちばん危険な「黒い夜」に行われたが、大人たちが川岸や川中で見守り、しっかりと溺れないように子どもたちを抱きとめる。フイキも自分の幼少時の経験があるからこそ、絶対に子どもたちを助けようと、青年になったのちは文字通り命を投げ捨てる覚悟でこの儀式に臨んでいた。わが子を投げ入れる際も、多くの村人たちへの絶対の信頼をもって臨んだ。そして無事、子どもらは生還した。
フイキの知る限り、この儀式で亡くなったのは、スヤの子だけであった。
スヤは慟哭の日々をすごしたのち、集落の共同作業にはきちんと出るようになっていた。一見何事もなかったかのように。
実を言うとスヤの夫はスヤのの子の亡くなる前年に倒木で圧死していた。スヤはその後も、共同作業には欠かさずに出てきたが、新しく伴侶を迎えよという長のいうことを頑なに拒否して、一人で子育てをしていた。その憐れさは村の者皆の同情を買ったが、それでもスヤは気丈に土器や小物を作る作業にいそしみ、陸稲の刈り取りや仕留めた獲物の解体にも積極的に参加していた。
スヤは穏やかではあったが、笑うことはもうなくなっていた。
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