黒い夜

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 フイキはついぼんやりとその頃のことを思い出していた。  今晩は儀式はもちろん行われてはいないが、雨降りがいやおうにも哀しく憐れな記憶をよび立たせる。やがてその降り方は、いきなり天が裂けて貯められた水が落ちてきたかのように激しくなっていく。  フイキは不安を感じながらも、ふと河のほうに行きたくなった。暗闇であっても毎日生活し労働している場所のこと、河の水音を頼りにすれば近くまで行ける。フイキは方角を転じて左手の土手を降り始めた。  集落の人たちが踏み固めて丸い木材で段をつくった、要するに階段がある。そこを伝えば河べりに出られる。  河べりに降りたところで、フイキは何かの気配を感じた。狼などの野生動物かと身構えたが、荒い息や唸り声などはしない。  まさか人か、そう思ったが誰だか見当もつかない。それでもその人がそのままこの場所にいたら危険だ。  夜と昼の世界は全く別物だ。光の恵みを誰よりも知り尽くしていたのは彼ら太古の民だろう。 「誰かいるのかい。俺はフイキだが」  確かにこの呼びかけに応じて気配が身をすくめるようになったのが分かった。フイキはそちらに歩を進めた。足元の切り株や岩に足をとられないように気をつけながら。    
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