ピシュタコの墨

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 蝋燭の炎が揺れている。  筆を手に取り、その先端の毛を墨に浸す。  ああ、やはりいい。墨が筆に吸い付いてくる感覚が、神経が鋭敏になった指先を伝わってジンジンと伝わってくる。頭の奥が痺れるようだった。  ポタリ、と水滴の落ちる音がどこかから聴こえた。   「黒、というのは特別な色だよな。濃淡こそあるものの、全ての光を吸収する、という性質は他にない。究極なる黒を追い求めて人間が努力を続けてきたことは、素直に称賛に値するよ。松煙墨、油煙墨、黒鉛、骨炭、カーボンブラック。技術は進歩したが、それでも化学はまだ光を完全に吸収する黒色を作れていない。……そう、化学は」  幽煙がなにかを囁いている。だが、俺には関係ない。  筆を滑らせ、紙の上に墨を染みつかせていく。何と書くんだったか。  そう、門、門、門。 「どの時代にも探求者は存在する。この油煙墨を作った者もまた、究極なる黒に魅せられていた。橋づくりの際に捧げられた人柱を見て、製法を思いついたんだ。肉の柔らかい女子供を集めてきて、その脂肪から生きた油を取った。人身御供だよ。多くの命を捧げることで、究極なる黒を完成させようとした」  まっすぐ、とめ。曲がって、とめ。  筆の軌跡をたどる黒は、どんな闇の色よりも深い。際限なく吸い込まれていくようだ。 「黒という色は、光だけでなく、人の心も吸い尽くす。どこまでも深く、そして果てしない。考えたことは無いか? 黒色に吸い込まれた光は、いったいどこにいくのか。究極なる黒に吸い込まれた先の世界は、」  門。  異なる場所に誘う概念を現した文字。  俺は筆をまっすぐ引いてとめ、そしたハネた。  持ち上げた先でまた筆を落とし、横にすっと引く。  あと一画。  ククク、と笑うような声が後ろから聴こえた。  その時だった。
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