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やがて水は引いた。
巨大な獣の死骸のような、泥まみれの王都が姿を現した。壁外の村々など痕跡も残っていない。
崩れ残った城壁の上に、数十人の人々が生き残っていた。私は腿まで泥に浸かりながら歩いて、そこを目指した。何を考えているのか女も、私についてきた。
近づくと向こうも私に気づいて、兵士の一人が壁を降りてきた。
「アハブの子、エサウだ。君たちを指揮している者に会わせてくれ」
威儀を正して、と言いたいところだが、泥まみれでぜいぜいと喘ぎながらでは、威厳も何もない。
「お連れの方はどなたですか」
「その者の処遇は保留だ。別命あるまでは客人として扱え」
いくつかの崩れた階段と梯子を伝って、壁の上に出た。
「ナタンといいます。このありさまでしてな。お迎えに上がれず、もうしわけありません」
兵士たちの指揮官は、胸壁にもたれて座したままの姿勢でそう言った。右脚の、膝から先がない。知らない顔だが、装備から見て、貴族士官ではない。農民兵からの叩き上げだろう。人望はあついはずだ。そうでなければ、この状況で生かされているはずがない。
「三日前の計数ですが、ここにいる生存者は六八人。うち、兵士は十七人です。兵士は皆、健康といっていい状態です」
私が問う前にナタンはそう言った。なるほど、少なくとも無能ではない。
「水と食料の備蓄は?」
「食料はありますが腐りかけています。水は失くなってから二日たっています」
「ではやはり、最初にするべきは井戸の再生だな。君の兵士をいくらかわけてくれないか」
「全員お使いください。平民たちにも、志願する者がおりましょう」
ナタンが命ずるよりも早く、副官らしき若い兵士が立ち上がった。道具の確保、井戸の場所の特定、そのための人数の配分。副官は必要なことをすべて心得ていた。
「ナタン、君が生き延びてくれてよかった」
「そう言っていただけると、救われます」
彼の返答は軽いものではなかった。いくつもの無力感や後悔を、彼も抱えているのだろう。
女は、少し離れた場所で胸壁にもたれ、空を見上げていた。
この混濁しきった世界でただ一つ、清浄なままの場所を。
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