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井戸は汚泥の中に埋もれていた。柵を周囲に巡らし、周囲の泥を掻きだす。井戸そのものに手をつけるのはそのあとだ。
一方で、泥水をろ過してなんとか飲める水をつくる。倒壊せずに残った家屋の中からどうにか食べられる食物も見つける。他の生き残りを探すために、四方に探索者を派遣する。
何もかもをやるには人数が足りな過ぎたが、後回しにできる仕事があるわけでもなかった。
日没直前まで皆働いた。
泥まみれになった服を脱ぎ棄て半裸になる。火にあたりたいところだったが、燃やせるものもなかった。
「みじめなありさまだな」
女がそう言って私のまえにしゃがみ、かつては干し肉だったらしい何かを手渡す。そして言った。
「私を殺さなくていいのか?」
「さすがに今はそれどころではないな」
「私がこれ以上お前の邪魔をしないと思っているようだが、甘いのではないか?」
「正直めんどくさい。考えたくない」
「何人生き残ると思う? あと二か月で冬なのだぞ」
そう言って女は私の顔を覗き込んだ。
感情は読めない。私はしばらく考えた。
「民衆にとって何より必要なのは、希望だ。それが届くはずのないものであっても、触れたら壊れてしまうようなものであっても、私は希望を示し続けなければならない」
「人々を騙して無益な労働を強い、喜んで犠牲になるように仕向ける。為政者の鑑だな」
「どう転んでも、後世の人間は私を非難するだろう。そういうこともある。私はそれでいい」
「立派なものだ。お前の心が折れて、後悔と絶望に泣き叫ぶさまを見るのが楽しみだ」
そう言うと女は去っていった。
まもなく、私は眠りに落ちた。
夢など見なかった。ただ真っ黒な眠りだった。
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