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団子のお礼。
三人揃って渓谷を戻る。地面はひどくぬかるんでいた。靴が汚れる、と橋本が文句を言い、山だからしょうがない、と綿貫が笑い飛ばす。その傍らで頭を悩ませる。さっきの時間は現実だったのか。土砂降りの中で見た幻ではないのか。だってカッパや天狗や喋る動物なんてオカルトの産物だ。白昼夢というやつか? そもそも二人の受け入れ方も不自然だった。あんなに爆速で馴染めるわけがない。橋本はビビるだろうし綿貫は絶叫するはず。そうだよ。俺、疲れているんだ。ぼんやりして幻覚を見たに違いない。自分を納得させた、次の瞬間。
体が浮遊感に包まれた。世界がスローモーションになる。声を上げる暇もなく。振り返った橋本と綿貫の顔が驚愕に歪むのを見ながら。
俺は橋から足を滑らせていた。あぁ、橋本が危ないって気にしていたな。確かに転落を防ぐ物は何も無い。咄嗟に床へ手を這わせるけど濡れていて滑るばかり。下では川が勢い良く流れていた。これは本気で命の危機だ。
ごめん、二人とも。楽しい旅を台無しにして。
落ちるや否や抗いようの無い水流に飲み込まれる。懸命に水面へ顔を出すが、水を吸っった服や靴が重味を増して纏わりつき水中へ引きずり込まれる。カッパが避難するだけある、なんて考える余裕も無い。このままじゃ俺、終わる。それだけが思考を占拠して、だけどどうしたらいいのかもわからない。意味があるのか無いのか知らんがとにかく手足を必死で動かす。うん、無意味だな。絶望が、確信に変わる。
死ぬ。
諦めたくはないけど受け入れざるを得ない。しかし突然、背中を支えられた。水流にも負けない強い力を感じる。
「どすこぉい!」
叫び声と同時に思い切り押し出された。勢い余って空中へ投げ出される。川。相撲。考えるまでもない。
しかし水から出して貰えたものの、依然として此処は川の上。このままでは再び落ちてしまう。どうすりゃいいんだと困っていると、凄まじい突風が吹き抜けた。体がぶっ飛ばされるほどの大風だ。悲鳴が漏れる。だが、これまたすぐに気付いた。橋のたもとに立つ親友二人の側まで戻ったところで風はピタリと止んだ。田中! と二人が俺の腕や背中を叩く。
「団子の礼だぁ。気を付けて帰れぇ」
山の中から野太い声が響いた。大風を起こせる扇。それを持っている者は。
「じゃあ私達もっ!」
「風邪を引いたら折角の旅行が台無しだもんね」
背後から可愛らしい声が聞こえた。あっという間に服も荷物も乾き切る。
皆が助けてくれたんだ。あなた達の存在を認めなかった、この俺を、皆が……!
「ありがとうー! きっとまた来まぁーす!!」
山に向かって思いきり叫ぶ。姿は見えない。ただ、雨上がりの渓谷では濡れた葉っぱが揺れて煌めいていた。それは手を振っているように見えた。俺も大きく振り返す。綿貫と橋本も、ありがとぉ~、と続いた。
「俺だけ何も無くてごめんなぁ。団子、ご馳走さん~」
鹿のダンさんの言葉に大笑いした後、渓谷を後にした。透明な静けさの中、時折雫の零れる音が耳に届いた。
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