旅先で土砂降りに見舞われる。

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旅先で土砂降りに見舞われる。

「降ってきたなぁ」  傍らで、同居人にして我が親友の綿貫が呟いた。 「降ってきたねぇ」  反対側で、もう一人の同居人かつこちらも親友の橋本が応じる。 「いや降りすぎだろ」  思わずツッコミを入れる。そうして三人揃って溜め息を吐いた。いやはや、三メートル先も見えない程の土砂降りじゃないか。まさか旅先の渓谷を散策中にこんな大雨に襲われるとは。  幸運にも屋根付きの休憩所がすぐ傍にあったので駆け込んだ。雨にさらされた時間は一分にも満たない。それでも髪や服は大分濡れた。  天気予報では晴れだと言っていたんだがな。取り敢えずハンカチで顔を拭く。ひでぇな、と綿貫は唇を尖らせた。こんな日もあるよ、と宥める。 「日頃の行いが悪いんじゃないの?」  橋本の指摘に、誰がだよ、と応じる。 「綿貫」 「何で俺!? こんなにも真面目に生きている人に向かって失礼な!」 「トイレ、使った後に水を流さないから」 「それはすまん!」  アホが速攻で頭を下げた。俺と橋本は揃って頷く。 「三人で共同生活を始めたんだから、ちゃんと正せよな」  大学進学のために上京する際、三人一緒なら心強いし寂しくないという理由で俺と橋本と綿貫は同居を始めた。あれから早六ヶ月。細々したトラブルや同居ルールの改正はあったが、もっかの悩みは綿貫が頻繁にトイレの水を流し忘れることだった。 「って言うか、実家ではどうしていたんだ?」 「ちゃんと流していたよ。母ちゃんと妹がキレてトイレの壁とドア、はては天井にまで張り紙をしたからな。水を流せ! って」  成程、と手を叩く。いい解決策だ。 「じゃあうちのトイレにも張り紙をするか」  しかし綿貫は、無駄だと思う、と首を振った。何で、と橋本が腕組みをする。 「言い付けを守らないと母ちゃんの雷が落ちるから俺も親父も気を付けるようになったんだもん」 「親父もかよ!」 「田中と橋本は怖くない。だから改善はされない」  しろよバカ、と橋本が蹴りを入れる。ぐあぁっ、と大袈裟に身を捩った。綿貫よ、お前はいつでも楽しそうだな。 「綿貫さぁ、そんなんじゃ一生モテないよ? デリカシーが無さすぎる」  橋本の指摘に、関係無いね、と胸を張った。何でだよ。 「ちゃんと流す田中にも彼女はいない。むしろ流すくせに独り身なんだから俺より手の施しようが無い」  俺が理由か。 「そこまで言うかよ、失礼な」 「俺には伸び代がある。田中には無い」 「伸び代じゃなくてマイナスからのスタートだ」  不毛な言い合いを繰り広げていると俺達の中で唯一彼女のいる橋本が、目くそ鼻くそ、と呟いた。今度は俺が蹴りを入れる。泥が付く、と橋本は顔をしかめた。  ふと気が付くと雨は激しさを増していた。よく降るな、と呟く。止むのかな、と橋本が反応した。 「止まなきゃ困る。渓谷の入口から三十分は歩いたんだぞ。この雨の中、そんなに歩いたら九月で残暑がひどいとは言え風邪を引くわ」  そう言うと、え? と橋本は耳へ手を当てた。 「雨音で聞こえない」  だからぁ、と声を張り上げる。 「渓谷の入口まで三十分も濡れ鼠じゃ風邪を引く」 「あぁ、そうだね。しかもそこからバスと電車を乗り継がないとホテルに戻れないし」 「夕立だったら直に止むはずだが」 「雨雲レーダー、見てみようか」  橋本はスマホを取り出した。しかし、ありゃ、と目を丸くする。 「電波、入らないや」 「マジ?」 「まあ駅からバスで四十分、そこから歩いてきたんだし案外山の深くまで来ているのかもね」  そこへリュックを漁っていた綿貫が寄ってきた。 「団子、食うか」  藪から棒に何事だ。 「団子?」 「おう。今日はよく歩くから腹が減るだろうと思って持ってきた」  いつの間にそんな物を準備した。 「でも暑いぞ。何時に買った? 腐ってないか?」 「一時過ぎ。昼飯食った後、バスが来るまでの間にコンビニへ寄ったじゃん。あの時。それに保冷剤で包んであるから大丈夫だろ」 「何処で手に入れたんだ、保冷剤なんて。コンビニではくれないだろ」 「熱中症対策で持ち歩いているんだ。昨夜もホテルの冷蔵庫に入れておいたからバッチリ冷えているぜ」  あぁ、と橋本が目を見開いた。 「何で保冷剤があるのか疑問だったけど、やっぱり綿貫の物だったのか」 「やっぱりって何だ」 「あと、団子、俺はいいや。もし此処で一晩過ごす羽目になったら夕飯に貰う」 「まだ三時だぞ。嫌なことを言うなよ」  橋本を嗜める傍らで、確かに! と綿貫は手を打った。 「大事な食料だ、温存しておこう」 「お前まで野宿の可能性を考えるな」 「でも雨は強いぞ? それにほら、来る途中に古い橋があったじゃん。柵のないやつ。視界が悪い状態であそこを通るのは危なすぎる」 「そりゃそうだけど」  しかし此処で一晩過ごすのは勘弁して欲しい。トイレも無いし。 「雨、止まないかな」  自然と口を突いて出る。三人揃って息を吐いた、その時。微かに足音が聞こえた。と思いきや凄い速さで此方へ向かって来る。何だ、と言う暇も無く。 「ちょっと失礼、雨宿りをさせて下さい」  駆け込んで来たのは真っ赤な顔に長い鼻、和装に高下駄を身に付けた、どう見ても。 「……天狗?」 「そうです」
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