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2.守親
百合の家と守親の家は同じ町内に建てられていて、徒歩十分と近い。しかも父親が百合でさえ聞いたことがあるような大きな賞をいくつも受賞するような建築家である彼の家は、百合の家よりも広々としていて居心地が良い。それゆえ百合の足は学校帰り自然と守親の家へと向いた。
五歳違いの守親は体が弱く学校を休みがちだった。それでもなんとか高校までは卒業し、大学は在宅しながら単位が取れる通信制の大学に進学した。たまに登校日もあるらしいが、たいてい彼は家にいて、レポートを書いたり、趣味の絵を描いていたりして過ごしており、そんな守親の傍らで宿題をする、いいや、答えを教えてもらうことが高校生になってからも百合にとっての日課だった。
「たまには自分でやりなさいな」
守親は苦笑いしながらたしなめるものの、じゃあ別にやらなくてもいいや〜、と百合が投げだす素振りを見せると、困った顔をしつつも答えを教えてくれてしまう。そんなちょっと甘い人だ。その弱りながらもほんのり微笑む顔が見たくて、百合はしょっちゅうやる気のない顔をしてみせる。
「ねえ、経済学ってどんなこと勉強するの?」
「えええ?」
リビングの真ん中にでんと置かれた天然木製の切り株型のテーブルにノートパソコンを置き、レポートに励んでいる守親にそう訊ねると、守親は怪訝そうに百合を見た。
「百合が楽しめるような内容じゃないよ。なんで気になるの」
「気になるっていうか、あきらかに楽しくなさそうなのに、なんでもり兄はやってるのかなあ、と気になっただけ」
そう、守親はいつだって気怠そうに、あるいは厄介そうに、パソコンに向かっていた。どう考えてもやりたくてやっている風ではなかった。対して、趣味だよ、とのんびり言いながら描いている絵に向き合っているときは、いつだって口角が上がっていた。
「絵、もっと描けばいいのに」
守親の描く絵が百合は好きだ。抽象画というものに分類されるようで、なにを描いているのか判然としない作品が多いけれど、青を基調に描かれた守親の絵はどこまでも透明で、静かで、見ていると心がすっと凪ぐ。守親の絵の前に立つだけで、学校で起こった嫌なことも不思議と忘れられた。
「もり兄の絵には力があると思う」
そう言うが、守親ははにかむばかりで真剣には取りあってくれなかった。
けれど、八年経って百合も社会人になった今、百合の言葉のおかげかどうかは定かではないが、守親は絵を生業にして生きている。
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