3.真

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3.真

「絵、売れてるの?」  できるだけあの頃みたいな遠慮のない口調で言うと、守親もあの頃と同じ起伏の少ない顔で笑って、そうだね、と曖昧に頷いた。 「まあ、なんとか食べていけてるよ。大丈夫」  大丈夫。  そう返されて胸がきりきり痛む。  大丈夫なわけがないのだ。絶対、大丈夫なわけがない。  守親が今住む家はあの頃住んでいた家とは違う古ぼけたマンションの一室だ。そこで彼はひとりで生活している。 「不自由はないよ」  特別意味を込めて見回したわけでもないのに守親はそう言う。いたたまれなさを感じつつ、百合は持ってきた紅茶の詰め合わせをテーブルの上に置いた。 「おじさんからは連絡、ある?」  訊ねるには勇気がいった。けれどもなんとか口を動かしてそう言うと、守親はやっぱり感情が薄い顔のままで、いいや、と首を振った。 「判決出た後からずっと連絡はない」 「そう」  そうだろうとは思っていた。毎年、百合の家には花と手紙が届くけれど、叔父は誠心誠意頭を下げた後に、なにもなかったみたいに自分の家族に向かって笑えるような人じゃない。  そもそも……百合の両親はまだ叔父を赦していないのだから。  いいや、百合だってまだ赦せないとは思っている。それは両親と一緒だ。一緒だけれど守親に対しては違う。守親は……真のこととは関係ない。  関係、ないはずなのに。  弟の真とは十二歳離れていて、あのころは自分だってまだ子どもだったにもかかわらず、百合にとって真は「子ども」でしかなかった。「ねえたん、ねえたん」と言って後をついてくる真を見ていると、自分が親鳥になったような不思議な感覚を覚えたものだ。  ただ雛はやがて大人になるもののはずなのに、真は大人になれなかった。  百合の家族と守親の家族、といっても守親の家は父親と守親のふたりきりだったけれど、みんなでキャンプに行くことになっていた朝。  少しタイミングがずれていれば避けられたはずだった。  ボール遊びに夢中になっていた真。  路上に駐車してしまっており、近所の人から注意を受けて車を移動させようとしていた叔父。  真の手から離れた、ボール。  バックした、キャンピングカー。  すべてが不運な偶然で、どこにも悪意なんてなくて。  でも、悪意なんてなくても、悪意どころか愛しさしかなかったとしても、ときに命は摘み取られる。  真を殺した叔父には執行猶予がついた。故意ではなく過失であり、悪質性もないと判断されたために。けれどそれは法律上赦されたというだけ。  百合の家族においても、叔父の中でもなにも赦されたことになんてなっていない。 ──死んでよ! あなたが死んで! 真を返してよ!  耳の奥に張り付いて離れない、実の兄に向かって泣き叫んだ母の声を百合は強引にねじ伏せる。  百合だって思う。誰かが死んで真が生き返るなら、何度だって死を願って罵りたい。  でも……そうすればするほど、傷つく人は他にもいる。 「もり兄、入院は明日から、だっけ」
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