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6.さよなら
「本当にもらってくれるの」
言いながら彼が油紙で絵を包む。目を癒していた青が唐突に遮られ、百合はわずかに残念に思いながら頷く。
「ほしいもん。私を変えてくれた絵だし」
「変えた?」
「ほら、この上で黒作っちゃって」
「ああ」
思い出したように細かく頷いてから、大げさだな、と守親は呟く。
表情が少ないけれど、この人はとても照れ屋だ。そして彼の照れた顔を百合はもっと見たいと思ってしまう。
「入院先って長崎だっけ。なんでそんな遠いとこなの」
「もともと診てくれてた先生が病院移っちゃったからね」
「名物ってなんだっけ、皿うどんだっけ。食べに行こうかな。もり兄に会いに行ったついでに」
軽い口調で言ったけれど、守親は答えない。ただ微笑んだだけだ。
その彼の顔から目を逸らし、百合は彼が油紙で包んでくれた絵を脇に挟んで玄関で靴を履く。
できるだけゆっくり靴紐を結ぶ。
「手紙、書く」
「今時手紙って。スマホくらい持ってるよ」
苦笑する彼に背中を向けたまま、百合は唇を噛む。
そうだ。スマホでやり取りすればいいのかもしれない。でも、多分、自分達の関係性を考えたら、そんな短文で気軽にやり取りできる話題なんてきっと、ない。
「いい、書きたいの」
背中を向けたまま言うと、守親のまとう空気から笑みが消えた。
代わりに漂ってきたのは……伸ばそうとして握りこまれた指先のような迷いの波。
ゆっくり、ゆっくり靴紐を結ぶ。でも、守親はなにも言わない。
なにも、言ってはくれない。
それはそうなのだ。百合だって言おうとしなかった。言いたかったけれど、子どものころからずっとそばにいる相手に向かって踏み出すのは、同級生の男の子に向かって愛を囁くよりはるかにハードルが高かった。
だから不自然でないようにいつもそばにいた。
邪魔にされないようにいつも子どもの顔をした。
それでも、いつかは子どもの顔を脱ぎ捨てようと思っていた。
そうしたとき……守親がどんな顔をするのか、怖かったけれど、楽しみな気もしていたのに。
今はもう、あのときとは違う。
真はもういなくて……両親は守親の父を憎み続け、守親へも粘ついた感情を持っている。
百合自身もまた、まだ叔父を赦せない。
それを、守親も知っている。
「行く、ね」
立ち上がると、守親から漂ってきていた空気が揺らいだ。振り向かない百合の背中で、来てくれてありがとう、と静かな声で彼が言う。
うん、と頷きだけを残し、百合はドアを開けた。眩すぎる光が一瞬玄関を焼く。閉ざした後の陰りを感じたくなくて、百合は音高くドアを閉め、走り出した。
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