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雨と音と君と虹
しとしとと冷たい雨が身に降り注ぐ。
もう少しで梅雨入りなのだろうか。透明のビニール傘の柄を握りながら僕は、新卒で入社し約二ヶ月になる会社から家までの道のりを歩いていた。
久々の雨に心が弾んでいる。
胸の奥底からひょっこりと、10年程前の幼い自分が顔を覗かせたような気がした。『僕』は、年相応の輝かしい笑顔で、水溜りの上を飛び跳ねていた。
―――昔から雨は好きだ。
小学生の頃、僕にとって雨の日は、この上なく幸せで特別な日だった。雨が降った日は、友だちの家に遊びに行く日。
天の高いところから、ぽつり、ぽつり。小さな粒が屋根に当たり、小窓を濡らす。その雨音が合図だ。運動会で先生がピストルの引き金を引いた時みたく、僕は上機嫌に外へと駆け出す。
大きな水溜りを探しては飛び込んで、最早、長靴も傘もその機能は果たさない。けれど僕はそんな時間が楽しくて、嬉しくて、誰もいない小路の真ん中でひとり大笑いした。
決して裕福ではなかった実家は、共働きの両親とひとりっ子の僕の3人家族。両親は、仕事での稼ぎを全て、この僕へ注ぎ込んだ。
いつも学校から家に帰ると家庭教師がやって来て、勉強、勉強、勉強の日々。時折それが習字となり水泳となり、空手、ピアノ、ヴァイオリン……と変化するも、幼い僕はどれも好きにはなれなかった。
毛嫌いする程には達しないが、毎日がつまらなくて、溜め息ばかり吐いていた。
だけど、雨の日だけは自由になれた。僕からすれば幸い、先生にとっては生憎なことに、天候によりよく電車が止まったり遅れたりするもので、当時田舎に住んでいた僕の家まで先生が来れなかったのだ。
勉強道具を放り投げ、普段遊べない友だちの家でお菓子を食べながらゲームをする。そんな至福のひと時が大好きだった。
―――だから僕は『雨』を好きになった。
気が付けば、大きな広場に差し掛かったところで僕の歩みは止まっていた。雨がほんの少し強くなっている。
広場の中からは、静かな音楽が聞こえてきた。
沢山の人々が頭上で傘を開き、鞄を抱え、降りかかる水滴を鬱陶しそうにアスファルトの上を駆け抜ける忙しさの中、その音色だけが優しく雨に寄り添っていた。
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