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彼女は名を天芽といった。
僕の記憶通りサークルメンバーではなく、彼女は僕より1個下だが一度留年した為にまだ1年の女子であった。
初めて彼女の姿をこの眼に捉えたとき、その清艶で華のある楚々とした雰囲気に、僕は思わず見惚れた。一瞬にして、彼女の世界にそっと心を掴まれた。
―――それはもう、一目惚れに近しいもの。
『……ていうかさ、窓開けっ放しじゃん。雨入ってくるぞ』
『あ、閉めないで下さい、先輩。雨は……あたしの大切な、音楽の一部だから』
窓の側に置かれたギターケースの身を案じ、窓を閉めようとした僕を、そう言って止めた天芽。そして再び演奏を再開した彼女は、ギターを殆ど鳴らさずにアカペラで歌い出した。
否、楽器の演奏がないのではない。彼女にとっての楽器は―――雨なのだ。雨の音を背景に、彼女はその透明な声で言葉を紡いだ。
天芽の音楽は、僕が今まで聴いてきた音楽とは全く味の異なる、特別で唯一無二の音色だった。
『えへへ、あたし雨が大好きなんです! 先輩は知ってますか? 雨はねー、無限大のハーモニーを作れるんです……!』
パフォーマンスを終えると、彼女は僕へとびきりの笑顔を向けた。それまでのクールなイメージとは打って変わり、可憐で愛愛しいその姿はさながら天使のようだった。
きっと、こちらが彼女の素なのだろう。彼女ほど雨を純粋に愛する人を、僕は初めて見た。そしてその瞬間、自分の「好き」が随分と捻くれたものだということに気付かされた。
『サークルには入らないの?』
『んー……あたしのは皆んなと違うから、たぶん合わないと思います。現に1度、それを理由に断られましたし! ああっ、てか無所属なくせして部室勝手に使っちゃってごめんなさい!』
『はは、今更ー? 今日は活動日じゃないし、別に良いでしょ』
同じ雨が好き同士でも、天芽と僕は全然違う。天芽は自分の意思がとても強かった。決められたレールを歩いてばかりいた僕とは正反対。
そんな彼女に、心が揺れないわけがなかった。
―――僕はまたひとつ、『あめ』を好きになった。
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