1人が本棚に入れています
本棚に追加
演奏が終わり、広場のあちこちから疎らな拍手が聞こえてくる。その中で僕は、誰よりも大きく手を叩く。
この自由になった両手は、疾うの昔に傘を投げ出していた。だって折角の雨だ、その優しさを全身で受け止めなくてどうする。
目の前の小さな舞台で、律儀に角度の決まったお辞儀をする女性。いつの間にか雨は止んでいて、彼女の背後には大きな虹が架かっていた。
キラキラと七色の輝きを放つそれを見て、僕はふと昔の記憶を思い出す。
それは高校生の時、英語の授業での事だった。
虹は英語で『rainbow』と書く。その『rainbow』の訳を英語教師は説明の中でこう言ったのだ。
『まずはいつも通り、 rainbow を「rain」と「bow」に分けて考えてみようか。 rain は言わずもがな「雨」だ。そして、 bow は―――』
―――お辞儀だ。
雨の後に虹が架かるのは、雨というパフォーマンスを終えてお辞儀をしているからだ。当時、僕はそんな解釈をした。
そして今、改めてそれを実感する。
舞台から下りた彼女の視線が僕へと向いた。そのまま口角が上に伸び、綺麗な弧を描く。あっという間に、逆さ虹の完成だ。
彼女は、こちらを目掛けて駆けてくる。溢れんばかりの満面の笑みと、髪から零れ滴る雫と一緒に。
「天芽」
僕は愛しい恋人の名前を呼ぶ。彼女と同じく濡れた身体で、そして緩む頬で、彼女を抱き締めた。
―――今日、また『雨』をひとつ、好きになった。
今にも泣き出しそうな程、薄暗い空が好き。
息を吸い込むと肺が圧迫されて、胸がいっぱいになるあの匂いが好き。
湿った空気と時に冷たく時に暖かい温度が好き。
身体の隅々にまで染み込んで、包み込むように優しい雨が好き。
社会人になった今、僕は『雨』が好きだ。
―――雨は世界に、彩りを与えてくれる。
最初のコメントを投稿しよう!