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ハジムラド聖騎士はわなわなと震え、武力行使によってうやむやにするつもりだ。何という脳筋、浅慮さ。ここがどこだか分かっていないのだろうか。
「主犯はセルゲイだろうな。ハジムラド聖騎士長に付いて来た騎士たちに命じる、枢機卿とハジムラド聖騎士長を捕縛すればお前たちが、この王城に襲撃したことは不問にしよう」
ざわりと空気が一変し、連れてこられた騎士たちはハジムラド聖騎士長に刃を向ける。
「はっ! 王女殿下!」
一気に形勢逆転し、ハジムラド聖騎士長も部下の裏切りによって、あっけなく捕縛された。途中で王国騎士団長のレフと、近衛兵長ジェエルが飛んできたのが大きかった。
ジェエルは私が仮眠室を使うかもしれないからと、隣室で安全確認を行っていたところ、暗殺者と運悪く遭遇して駆けつけるのが遅かったという。
王国騎士団長のレフは門塀で不審人物がいたため確認して遅れて来た。思えばこういった些細な問題を起こして、注意力を分散させる方法をとったのだろう。
前回は見事に嵌められたのだ。
もっともこの王城では、王族に対して刃を向けることが出来ない。そういう加護が働いている。国が傾かない限り、その加護は永久的に続く。だからこそ私の周囲にいた有能な者たちを一人ずつ引き離していったのだろう。
ここが戦場にならなくてよかった。
「何故です、王女殿下。何故、この国で漆黒は呪われた色であり、罪人である象徴。それなのに何故ディミトリを信じられるのですか!? 彼はいずれ国を裏切り、滅ぼす厄災です!」
「……」
捕縛されたハジムラド聖騎士長の叫びに、カチンときた。
ディミトリは澄ました顔をしているが、それは傷ついていないのではなく、今までに何度も似たような言葉を浴びせられて麻痺してしまっているだけだ。
あの燃えさかる炎の中、王国が崩れ去る最期の瞬間まで、私の臣下でいてくれた騎士。その信頼を今ここで応えなくて、何が王と言うのだろうか!
「黙れ!」
「エカテリーナ様?」
「髪の色がなんだというのだ。それはこの国ではない、教会の決めた逸話の一節に出てくるだけで、彼の何処か罪人だというのか。東の民の髪は、このような美しい夜の帳に似た色をしている。それだけで教会のお前たちは、彼を差別するのか。薔薇女神の下、信仰では等しく平等では無かったのか? ディミトリ・ル・ルロワは、私の知る中で最高の忠臣であり、最期まで我が国を憂い、守り、慈しみ、発展させようと望み、行動する者だ! 断じて裏切り者などではない!」
「──っ」
怒りで声が震えていたと思う。
あの最期の時を思い出すと涙が出そうになる。王女らしくない、淑女らしくないと後でディミトリに小言を言われるのは、覚悟していた。それでもこの言葉は言わなければ気が済まなかった。
私を最期の最期まで守ろうとした忠義者を、粗野に扱うことなど許さない。などと愚かにも熱血に語ってしまったのだ。それはもう扇をへし折らん勢いだった。
ふと気づいた時には色々遅かった。傍にいた文官たちはハンカチを目に当てているし、ディミトリは固まっているし、その後の収拾が本当に大変だったのだ。
出来ることなら全員の記憶から削除するか、私の記憶から抜き取って欲しい。
***
今回の一件で国内逃亡を図ろうとしていた枢機卿のセルゲイは捕縛。彼の屋敷からは教会への寄付金などを横領した書類と金貨が出てきた。
ハジムラド聖騎士長はセルゲイ枢機卿に加担し、折を見て国を出る予定だったと自供したそうだ。
その夜の薔薇庭園で、ディミトリから諸々の報告を聞かされていた。
薔薇庭園には青紫色の花が咲き誇り、灯り鳥という小さな小鳥が舞うことで幻想的に見える。そんな良い雰囲気の場所に、空気も読めずディミトリは謁見を申し出たのだ。
こ、断れなかった……。気分転換にガゼボで薔薇の花を愛でつつ、黒薔薇病について調べていたのが仇となった。自室だったら眠ってしまったという言い訳が出来たのに!
「エカテリーナ様、此度の件、貴女様に気付かれる前に動いたつもりでしたが、お恥ずかしながら足下を掬われてしまいました」
「ふふっ、私にはそうは見えなかったけれどな」
「……貴女様に醜態を見せたのですから、私としては反省するべき点が幾つもあります」
「一人で背負いすぎるなと君は言う癖に、君は一人で背負い込むのだな」
ディミトリは口を閉した。ここで会話が終わりかと思ったが、そうはならなかった。
「……しかし、あの黒衣の騎士の手紙が私だとよく気付かれましたね」
「(急激な話題転換! いつもならお小言がくるのに?)……あー、それは……」
黒衣の騎士。
王家を守護する十三の騎士長の中で、亡霊とも呼ばれる王家を守護する騎士の一人、それが黒衣の騎士だ。黒い全身甲冑を身に纏い、王家の影として代々仕えている。
そんな彼は幼い頃に数度会った程度で、その後は手紙のやりとりを欠かさずに行っている、気を許せる友人の一人だ。
それがまさか宰相だとは気付かなかった。雰囲気がまったく違うのだから、これはしょうがないと思う。声変わりだってしているし。
あのジャスミンの香りを嗅ぐまでは、わからなかった。
「手紙に付いていたジャスミンの香りと、ディミトリの服を……捲ろうとしたときに香ったものが同じだったからだ(……本当は死に戻りしたときに気付いたとは言えない)」
「そうでしたか。……本来であれば、もっと早く名乗り出る予定でしたが……エカテリーナ様は、私のことを口うるさい臣下だと嫌っておられていましたので……。今日のことも、正直ハジムラド聖騎士長の弁を信じると思っていました」
「うっ……」
そう前回は信じ切っていた……。王家にとっての二重帳簿の存在意義を把握していなかった私の落ち度だ。
心の中で謝罪しつつも、狡猾にも上手く立ち回るため言葉を紡ぐ。
「父様が倒れて国が揺らぎかける時ほど膿は出てくるもの。まず私を孤立させるためにも、政治に熟知しているディミトリを失脚することを考えるのは正しいだろう。だからこそ私は愚鈍であり、浅慮な振る舞いをする必要があったのだ」
全くもってそんなことはないのだが、ちょっと出来る王女風を装いたくて背伸びをする。いつもディミトリには、口うるさく言われ続けたのだ「実は凄いのだぞ」と思わせたかった。
ちょっと褒めて貰えれば、よかったのだが──。
「流石は新進気鋭の賢王の娘であり、私が忠義を捧げるだけのお方だ」
「…………」
え、信じた!? いや流石に十七そこらの娘がそこまで考えつかないと思うのだけれど!
王女として微笑みながらも、心の中ではとんでもなく動揺しっぱなしだ。
明日は雪が降るのでは?
「黒衣の騎士として書かれた手紙の裏を読み、今日まで道化を演じていたとは……。このディミトリ感服致しました」
「(私への信頼度がとんでもないことになっている。……って、そんなこと書かれていたのか全然気付かなかった。こ、これはまずい。このままだと本当に賢女として、ディミトリの信頼に応えられるようなことをしなければならなくなる……)そ、そうか。私であれば造作もないことだったぞ」
私の馬鹿!
失望されたくなくて見栄を張ってしまった自分を呪うものの、もう手遅れだった。
「今日ほど貴女に付いて来てよかったと思ったことはありません」
「(何て綺麗な眼差しでこちらを見るのだろう。……罪悪感が。あ、何だか胃が痛くなってきた……。私は私が死ぬ寸前までディミトリを裏切り者だと思っていたのに)……これからは、君をもっと大事にする」
それは本音だ。
黒衣の騎士が彼だったという事実に、困惑しているものの本音なのだが、まさか口に出ているとは思っていなかった。顔を上げたら男泣きしているディミトリに、自分の発言がいかに酷いものだったか気付いて弁解しようと試みる。
これから大事にする何て言ったら、今まで大事にしていないと言っているようなものだし、なんら駒のように扱われて嫌だと思うかもしれない。
「え、あ、ディミトリ……その今のは、えっと」
「いえ、臣下に対してお心を砕いてくださるとは……嬉しくて、……っ、申し訳ありません」
わあああ、とってもポジティブに受け取っている!? 私への信頼度がえぐい……。
冷や汗を流したからか、喉が異様に渇くので、紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせようと試みる。冷めないように魔法瓶に紅茶を淹れておいたので、カップに注ぐだけだ。
一人で飲もうとしたが、それもそれで酷いのでは? という雰囲気を感じ、口元がもぞもぞする。
そもそも私は……ずっと黒衣の騎士とお茶をしたいとは……思っていたのだ。
パキパキ。
私の感情の揺らぎによって青紫の薔薇が硬化していく。王家にある秘密の一つ。王族の王女の心が満たされる時、周囲の薔薇が差高品質の鉱石になる。採掘場から紫薔薇の鉱石の質も少しばかり影響を与えるという。
自分の心内が分かり易いのが何だか悔しくて、鉱石に気付かれないようにディミトリの分のカップを用意する。
「…………っ、ディミトリも今日だけ特別だ。お茶を淹れるから飲んでいってくれ」
「はい。……有り難くちょうだいし、家宝に」
「するな。絶対に、ここで飲んでほしい」
「しかし、今後その様なことがあるか――」
「定期的に淹れるので、付き合ってくれないだろうか」
「承知しました。……私は果報者ですね」
若干言わされた感が否めないけれど……、でもこんな風にディミトリと話が出来るようになったことは嬉しい。
その日、臣下泣かせの王女の話は王城だけではなく、国中に広がった。美談なので個人的にはいい話なのだが、話が美化されまくって私の評価がもの凄く高くなってしまったのは、誤算だったのだけれど。
*ディミトリ視点*
幼い頃、黒髪と言うだけで罵倒される日々にうんざりしていた。俺は曾祖父の血が色濃く出たらしく、黒い艶のある髪を持って生まれた。
ただそれだけ。
他者と少し違うと言うだけで差別対象になり、宰相の息子だからと気にかける声にも辟易していた。
こんな国など壊れてしまえばいい。
この国の男子は必ず剣技を習う。そこで才能があれば騎士としての道を歩むことができる制度があった。身分関係なく剣技場では技術を身につけることが出来る。
日々蓄積される不満を抱きつつ、稽古の終わりに父に書類を届けるため王城を訪れた。
たしかこの庭園を……。
「ほら、これでもう飛べるはずよ」
ふと薔薇庭園のガゼボにいたのは、幼い王女だった。侍女や近衛兵たちに囲まれて、守られて、甘やかされている彼女は、自分とは違う遠い存在。
全てにおいて恵まれて、幸福である彼女は──なぜか、烏を両手で掴んで空に飛ばそうとしていた。
「は?」
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