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意味が分からなかった。
忌み嫌う烏を。この国の王女が両手で掴んでいるのだ。しかも会話からして傷ついた烏を手当てした後、飛び立てるようにしている最中だという。
本当に意味が分からなかった。
「君は自由なのだから、どこまでもおゆき」
バサリと、漆黒の翼を広げて青空に飛び立つ姿に目を見開いた。美しい栗色の髪、青紫色の瞳は宝石のように美しい。
初めて彼女を認識したのは、その時だった。
変わり者の王女。その程度だった。
次に出会ったのは稽古の終わりに、他の訓練兵に足をかけられて泥水に倒れ込んだときだった。起き上がって何処かの井戸で水浴びしなければ、とウンザリしていたときだ。
「もしかして、あの時の烏だろうか?」
「いやなんでだよ?」
思わず悪態をついてしまった。
しかし彼女は気にした様子もなく、躊躇いもなく手を差し出した。
「あの翼と同じ綺麗な黒い色をしていたから、恩返しに来たのかと思った」
「童話の読み過ぎだろう。……というか黒は不吉じゃないのか?」
「私は夜の帳も、黒いインクも、黒い背表紙の本も、黒服、特に黒の燕尾服も好きだが。大人っぽいし、そういうのが似合う大人になろうと思っている。君に髪も好ましい」
たったそれだけの言葉に救われた。
変わった王女だが、それでも懐の深さと大胆さ、何より人を惹きつけて笑顔にする力に尊敬と敬意を持って接していた。
彼女が王位を継ぐのなら……彼女の望む国を見てみたい。そこには見た目による差別もなく、もっとよい暮らしを、国そのものを変えるだけのポテンシャルを持たれている!
***
「──やはり私の目に狂いはなかった!」
「その話、もう十三回目なのだけれど……。あと目は大分曇っているから、いい目薬を今度送るよ」
「私の目は曇ってはいない。ユーリーは現場を見ていないからそう言えるのだ」
会員制の酒場で隣のカウンターに座っているのは、ユーリー・クヴィテラシヴィリ・レベデフ教皇聖下だ。
灰色の髪に、琥珀色の瞳、中性的な顔立ちのせいで女性だと勘違いされがちだが男だ。そして俺よりも十も年上なのだが、俺とユーリーと、エカテリーナ様は幼なじみだったりする。
もっとも三人が揃ってお茶会をしたのは、俺が黒衣の騎士を名乗る前の数カ月だけだ。
ユーリーとは教会との軋轢を設けないためにも何かと腹を割って話をしていたりする。今回の失態については、地方への巡礼で対処が遅れたのだとか。
「今回の事は全面的に教会の不手際だ。……とは言え、エカテリーナと主従関係の結びつきが強くなってよかった」
「ああ、……あそこまでの才覚をお持ちだったとは、端倪すべからざる人物であられる」
「うーん。あの子にそこまでのポテンシャルがあるとは思えないけれど、でも君が支えるのなら良いんじゃないかな」
「ああ、この身が朽ちるまで、彼女の目指す国を支え──」
「あー、それもだけれど、人生の伴侶としてもありなんじゃないかなって」
「ぶっ!?」
「ぶっ……ごほごほっ」と、同じタイミングで噎せる声が聞こえた。エカテリーナ様に似ていたが、きっと気のせいだろう。いやあの方がこんな所にいるはずがない。
「黒衣の騎士として、彼女の理想の騎士を再現するために頑張っていたじゃないか。エカテリーナが女王陛下となることが確定し、国王が病に伏せったのだから更に縁談は増えるぞ。……と言うか、よく今まで彼女への縁談が出てこなかったな」
国王が娘を溺愛しているので、幼少期は全力で縁談をはねのけていたらしい。現在は俺がその役割を引き継いでいる。
「ああ、他国からの縁談を吟味しつつ、かの国に対して条件が良さそうな令嬢を手配しているので、今の所問題ない。……マスター、いつもの」
「季節限定パフェですね、かしこまりました」
「……今までは良いかもしれないが、今回の帝国からの縁談は面倒だと思うよ。下手すれば戦争だ」
珍しく話を続けるので、僅かに眉をひそめた。
「それは分かっているが、それならば一度縁談の席を設けた上で条件が合わなかったと断れば良いだろう」
「いや、それだとこちらに火の粉が掛かるかもしれない。現在、帝国もまた王位継承問題で頭を抱えているし、王子も十人以上いる。そんな後継者問題がある人物を国に招きたくないし、巻き込まれるのは得策ではない。だからさっさと君がエカテリーナとの結婚をすませるべきだ。相手は僕でもいいけれど……資格ならディミトリだってあるだろう」
普段は天使のように微笑むことが多いが、この手を話すときの彼はとても冷ややかな目で物事を捉えて判断する。
「私はっ……しかし立場的にも、状況的にも俺がユーリーぐらいか」
「そうそう。僕はエカテリーナも好きだけれど、君も気に入っているからね」
「気持ちは有り難いが、……俺はそっちの趣味はないのだが」
「そう言う意味じゃない! 何で時々天然が入るんだよ!?」
「ユーリーが紛らわしいことを言うからではないか」
「もーやだー、僕は普通なことを言っているのに! マスター、鶏の激辛炒め一つ!」
「かしこまりました」
それからいつもの季節限定パフェを頬張りながら考えた。
このバニラアイスの濃厚さと、クリームの甘すぎないバランスが最高なのだ。もっと言えばフルーツの蜂蜜漬けも控えめに良いって神だと思う。エカテリーナに告白するのも吝かではないのだが、大きな問題がある。
「彼女の前だと真顔で、ついキツい物言いになってしまうのは、どうすれば良いだろうか」
「今、仕事場でシミュレーションしたよね? 馬鹿なのかな」
「辛いものを食べている時は、いつにも増して辛口じゃないか」
「そうかな? とりあえず食事に誘うとか?」
「しかしどう食事に誘えば──」
「面倒くさいな。甘い物が食べたいから、一緒に店に来てくれないかとかでいいんじゃないか!」
「だがそんなことをしたら、俺が甘い物好きだとバレてしまう」
「大分前からそれはバレていると思うから大丈夫だよ。黒衣の騎士の時に、よく菓子が送られてきていたと言っていただろう」
「そう言えばそうだった」
プリン部分にスプーンを入れながら、彼女と甘い物が食べられることを想像したら自然と口元が緩んだ。まさかそんな未来を想像する日が来るとは思っていなかったので、今の幸福を噛みしめる。
*エピローグ*
その後、午後三時過ぎに甘い物を用意してお茶休憩を挟んだ結果、今まで以上に仕事の回転率が上がった。
意外と文官たちは甘い物が好きだと知り、騎士達は水分補給しやすい飲み物や軽食を提供したらかなり好評だという結果を得た。
今日はティラミスと焼き菓子を用意してもらい、侍女たちに紅茶を淹れて貰う。
この辺りの出資は私の持っていた、正確にいえば生み出した鉱石を一つ売ることで三カ月は賄えた。本格的に導入する際の予算は改めて詰める必要があるのだが、みなが喜んでくれる姿はなかなかに心が温かくなるものだ。
……こういう感じで、ディミトリと仕事以外で話す機会を作れたのはよかったのだな。
「エカテリーナ様?」
「ふふっ、もう少し早くこのような場を設けていればよかったと思ってな。いい国とはこの国で暮らす者たちが笑って過ごせるように、私たちもまたこの国の一人として貢献し、自身の環境にも笑顔のというものが必要なのだろう」
「そうですね。以前の貴女は国王が倒れて余裕が無かった。……我々も同じように神経質になりがちだったと思います」
あの一件から、ディミトリは少し目元や口元に笑みを浮かべることが増えたように思う。偶々黒薔薇病の情報収集のため隠しバーに言った時に、ディミトリが甘党好きだというのを知ったのだ。
思えば黒衣の騎士は甘い物が好きだった。「可愛らしい菓子店に男一人では入れない」と嘆いていたので、季節の変わり目にはよく新作などの菓子を手配していた。
そして何気に甘い物を食べているときのディミトリが、ちょっと可愛いのだ。幼い頃であった時の眼差しを思い出して、なんで今まで思い出せなかったのかと少しへこんだが。
まあ、伴侶云々は……あの黒衣の騎士がディミトリなのなら、私としては願ってもないのだけれど……これは私から言うべきだろうか。もし国の運営のための政略結婚として致し方なく提案する場合もある。そう考えると心の準備をしておくべきなのだろうか。
「エカテリーナ様、……私は貴女の思い描いた国家を支えるため、日々精進しようと思っていります」
それは前回、彼が私に告げた言葉と似ていた。
けれど──。
「つきましてはエカテリーナ様の隣で、夫として末永く傍にいたいと考えておりますが──前向きにお考えいただけないでしょうか?」
「──っ!?」
まさか真正面から来るとは思わず、一瞬変な声が出そうになったが堪えた。
『がはっ……。……申し訳ありません、女王陛下。……貴女の思い描いた国家ため支えたかったのですが、数手およばなかったようです』
そう言ったディミトリの言葉を思い出し、あの未来にならなくてよかったと心から思った。数手足りないどころか、今回は完璧ではないか。
少し悔しいが、黒衣の騎士がディミトリだという時点で、彼の真っ直ぐすぎる忠節を目の当たりにしてチェックメイトがかけられているという気がしないでもない。
艶やかな黒髪に触れたい気持ちを堪えて、しっかりと彼に向き合う。やっぱり彼は前髪があった方がいいと思った。
「ディミトリ」
「はい」
「これからも私を支えてほしい。臣下として、夫としても。君のことをもっと知りたいのだ。……だから、今後もし誰かにその髪のことで文句やら酷いことを言われたら、ちゃんと私に報告してくれるだろうか。私も好いている者を守りたいのだ」
「エカテリーナ様……貴女は」
「む。あ、えっと、その髪に触れたいと思ったらつい、違うことまで話してしまった……。ええっと、とりあえず、政治的な部分から見て──婚約から始めるべきなのだろうか?」
紫の美しい目を輝かせ、ディミトリはくしゃりと微笑んだが、すぐに獣のような目に戻る。
微かに頬が赤いので、怒っているのではないだろう。
「いえ。政治的にも、私的にも、ここは電撃結婚に致しましょう。式はそうですね、明日がちょうどよいかと」
「明日!? 明日は──」
「薔薇祭と、おあつらえ向きではないですか、エカテリーナ様」
計算していたのかと思い、ムッとしてしまったが触れた唇の甘さに簡単に消えてしまった。
これでまた一つ彼と私、そしてこの国の未来が変わっただろう。まだ解決していない問題や、この先に起こる厄災もディミトリとなら越えられる。
部屋に飾ってある紫薔薇の鉱石が、きらりと光ったような気がした。
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