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「──ッ、陛下!」
鈍い音と真っ赤な血が世界を染めた。
女王を庇い、その最期の最期まで忠義を尽くしてくれたのは、最初に裏切ったとされるディミトリ宰相だった。
どうして……。君は私を真っ先に見限ったのに……。
城が燃え落ち、今まさに自分の首が落とされる寸前で、その男は私の代わりに槍に貫かれたのだ。
「ディミトリ!」
「がはっ……。……申し訳ありません、女王陛下。……貴女の思い描いた国家ため支えたかったのですが、数手およばなかったようです」
「……っ」
抱き寄せるように彼の腕の中に包まれ、追撃で打たれた矢から私を守るため自身が盾となった。もみくしゃに抱き寄せられた腕の中で、ディミトリの温もりに泣きそうになる。
ジャスミンと鉄の入り混じった匂いが鼻についた。ああ、この香りは……いつも送られてくる手紙の……。じゃあ、君が……影でずっと私を……。
「女王を殺せ。そうすれば【黒薔薇病】も治まる!!」
「はっ!」
逆光で指示をする騎士の顔が見えない。
黒薔薇病? でもあれは呪いでもなんでもなくて……。
「愚かな……っ、あんなものを引き合いに出して……! 女王、私は……ぐっ」
「ディミトリっ……」
彼の黒く長い前髪が私の頬に触れる。熱を孕んだ紫色の瞳に答える資格は私にはない。
どうしてこんなにも私に尽くしてくれた彼を、その御心を信じて上げられなかったのだろう。敵の刃が振り落ちる寸前、私は自身の愚かさを呪った。
なぜ私は君の話を、言葉を、その瞳を……真っ直ぐに受け止めなかったのだろう。あの時は君に子供扱いをされて、君の優しさを受け入れる余裕がなかったのだ。……すまない、ディミトリ。
もし時を戻せるのなら──私は。
***
「王女! エカテリーナ様!」
「はっ!」
顔を上げると、いつもの執務室だった。
淡い薔薇とインクの匂い。
ベージュ色の部屋に深紅の絨毯に広々とした仕事机。いくつかの書類の山が積み上がっている。
よくある光景、懐かしい日々。
そして──。
「また居眠りですか。公務中に眠くなるようであられるのなら、椅子に座らずに仮眠室で数分ほどお休みになってください。上の者が休まないと下の者まで休めないでしょうに。だいたい貴女はいつもいつも机に座って仕事ばかりをして、もう少しご自身の体のことを考えてください。国王が倒れてからお一人で奮起しても、周囲が付いてこなければ国は回りません。もっと周りを頼り、自身に何が出来るのかを見極め、任せるということを覚えてください。現状ですと教会との支援金問題、薔薇祭の準備、貴女様の即位に向けての準備、縁談、税金の見直しに──」
あー、ディミトリの小言。……懐かしい。
当時は口うるさいとしか思っていなかったが、それは自分が未熟だったからだ。勤勉である事、正しくあるべきだと理想を胸にしていたが、まったくの隙がないというのは案外息が詰まるものだ。
何事においてもメリハリ、そして時に大雑把かつ茶番も必要なのだと年を重ねてから実感したし、余裕がないというのは本当によくない。
ディミトリは宰相として国王を支えてきた自負がある。だからもっと寄り添い耳を傾ければ、よい国にできたのに……。あんな最期を……。
ん? 最期? ……いやそれよりもディミトリの傷!
思い出した瞬間、反射的に椅子を倒して立ち上がってしまった。
「王女? 顔色が悪いですがどうかされたのです。それに急に立ち上がるなど王族として、はしたな──」
「ディミトリ、今すぐ服を脱いで!」
「は?」
ディミトリは手にしていた書類を床に落としているが、今はそれどころではない。
「傷の確認をしなくては!」
「何を急に言い出したかと思えば──って、エカテリーナ様、何ベルトを緩めようとしているのですか!? ……っ、服を捲るな。やめないか、傷など何処にもっ……!」
「あら?」
傷が……ない。生きている。胸元に引っ付いてみたが、心臓の鼓動が少し早い程度だわ。うん、無傷だわ。
「──っ」
ふとディミトリと目が合う。困惑と驚きに満ちていて、やってしまったと背筋が凍りつく。これは痴女扱いされかねない。
それでも背中の服を捲り、包帯などもしていないことを確認すると満足して服から手を離した。けっして痴女ではないのだと自分に言い聞かせ「予知夢を見て、貴公が怪我をしていたので心配した」と誤魔化した。我ながら苦し紛れにも程がある。ああ、もっと違う言い回しがあっただろうに! なぜに私は可愛げのない言葉を口にしてしまうのか。
「何を言っているのですか、しっかり寝たほうがいいですね」と冷ややかな言葉が返ってくると思ったのだが、反論はなく、ディミトリの目元が少しだけ赤い。
もしかして、ディミトリは風邪気味だった!? だから私にもしっかり休むようにと?
「エカテリーナ様。先ほどの行為を私以外の者でやったら、……国王に進言せねばなりません」
「ディミトリ。緊急性かつ初動を遅れれば手遅れになる場合があるのですから、負傷した場合は誰であろうと剥ぐつもりだ」
「いや剥ぐなよ!?」
思わず素が出てしまったのか、ディミトリは叫んだ。
いつもオールバックの前髪がくしゃくしゃになって垂れ下がる。艶のある黒髪に、紫色の瞳はどこか色香があった。
「し、失礼しました」
「ふむ。私としては、ディミトリは前髪があったほうが格好いいと思う。綺麗な黒髪だし、もったいない」
「──っ!?」
何気ない言葉だったのだが、ディミトリは固まってしまった。
ここが夢ではなさそうだと実感すると、窓硝子に映った自分の容姿に目を見張った。まだ若い十七ぐらいの少女の姿ではないか。
ディミトリが未だ復活する前に机の書類から日付を確認する。
王国が滅びる四年前。
死に戻った? であれば……あの惨劇を今なら止められる!?
王国が炎に包まれ、隣国の侵略を許してしまった末路は悲劇でしかない。
この国は紫薔薇型の鉱石と、緑豊かな領土を持っている。そして王家を守護する十三の騎士長と宰相によって、さらなる発展を遂げるはずだった。
最初の歪みは国庫の裏金の横領に、二重帳簿の発覚によってディミトリが責任を負わされるところからだ。
次に私の結婚相手を決める縁談の席で、隣国を巻き込み揉めに揉めて破局。
最大の問題は、黒薔薇病の蔓延からの崩壊。
そういえば二重帳簿が発覚したのって私が十七の頃だった。薔薇祭が迫っていて、不眠不休で書類やら祭の準備などの手配をしていた頃……。確かハジムラドが突然執務室に入ってきて……。
「王女殿下! こちらに謀反者のディミトリはおりますか!」
そうそんな感じ! ……って、今日、そして今!?
ノックもなしに突然部屋に飛び込んできた騎士は、教会のハジムラド聖騎士長だ。品行方正、美しい顔立ちに、人懐っこい笑顔が人気の青年で、白銀の甲冑姿を見せる。
金髪碧眼の彼に、固まっていたディミトリが鋭く睨んだ。
「ノックもなしに何のようだ? ハジムラド聖騎士長殿。王女陛下の御前だぞ」
「ディミトリ殿、いや謀反者のディミトリ! 宰相という立場を悪用し国家の金を利用し、二重帳簿を付けていただろう! これがその証拠だ。貴公の屋敷から出てきた」
「はぁ。いつから貴公ら教会は、家捜しをする泥棒になったのだか」
展開が早いっ! ちょ、ちょっと待ってティータイムを挟むぐらいの時間が欲しかったのだが!
投げ捨てたのは、確かに裏帳簿の書類だった。この後の展開は弁明するディミトリに対して、教会側の騎士達が捕縛しようとしていた。
あの時は気が動転していたが、普通に考えてなぜ教会側がその情報を知っていたのだろう。というかこれは女王に即位して知ったけれど、国家では二重帳簿ないと困る。暗殺とか毒殺対策資金やら、闇組織への情報収拾や尾行に捕縛なんかも、表に金額を出せる訳ないからあるわけで……。
国を運営する上では綺麗事だけでは駄目なのだと、女王に即位して思い知った。私の理想はあまりにも高潔で、夢物語に近かっただろう。
けれどそれを諦めず、めげずに支え続けてくれたのはディミトリや教皇聖下、王国騎士長、近衛兵たちだった。
みな最後まで尽くして、そして命を落とした。だからこそ自分が倒れる時は誰もいないと思っていたのに、最期の最期でディミトリが駆けつけてくれた時は、嬉しさと申し訳なさでいっぱいだった。
──って、感傷に浸っている場合ではない! それよりも、今だ! そもそも教会はこの国の祀る薔薇女神の信仰活動が目的で、聖騎士団は、魔獣との戦いにおいて必要だったから。……いつから聖騎士は許可も無く私の執務室に入るようになったのだ。大体この国に黒薔薇病が発症した時に教会が……。
「王女殿下、今回の件は国王に話を仰ぎ、対処しようと思いますがよろしいでしょうか」
考え込んでいた私に声をかけてきたのは、ディミトリだ。落ち着き払った顔をしており、全くもっていつも飄々としていた。
「(あれ? こんな展開だったっけ?)……ええ」
「私を信じて頂きありがとうございます」
少なくとも過去の、私の記憶にある彼はもの凄く焦っていた気がする。
あの頃は国王である父が病で倒れ、王女である私がこの国を支えるべく執務室で仕事をしていた。そんな矢先にディミトリの不正が発覚したということを思い出す。
あ。あれは私が取り乱したから?
「王女、ディミトリの言葉に耳を傾けてはいけません!」
「ハジムラド聖騎士長殿。我が屋敷への不法侵入、教会の越権行為、王城及び王女への面会申請を無視したことへの不敬、私への冤罪なども含めて対処させて頂こう」
「病に伏せっている国王陛下に無理をさせるつもりか!? 裏切り者のディミトリ、呪われた黒髪の男! ……王女殿下、彼を捕縛するように私にご命令ください!」
ああ、そうだ。私が裏切られたと思ってショックを受けている隙に、この騎士はそう言って私から、いいや、この国から有能な人材を排除していった。この次は近衛兵たち、有能な文官も嫌疑をかけられ地方に飛ばされるか、暗殺……。
思い出してきたら今回の企みは、王女を操り人形にするため画策した教皇聖下の部下の一人、枢機卿セルゲイが主犯だったな。セルゲイはこの国を隣国に売り渡して、黒薔薇病の発生と同時期に他国に逃亡した。
私を守ろうとした教皇聖下を苦しませたあの男も、この騎士も報いを受けてもらおう。
指針が決まった瞬間、場の空気を変えようと何もないところから黒い扇を取り出す。王家の女だけが受け継ぐ王家の証。
扇を開き、口元を隠しながら乱入してきたハジムラド聖騎士と、その後ろにいる騎士達を一瞥した。
「捕縛? 捕縛するのはハジムラド聖騎士長及び騎士達でしょう。ここを何処だと思っている? それともそれが教会の総意、教皇聖下の意志か?」
「そ、それは……」
「そもそもその帳簿は国家を脅かす……いずれくる疫病対策の予算として帳尻があるように、私の個人の財産から出してあることを隠すためにディミトリに頼んだものだ。あまり王女が有能だったら周囲は警戒するであろう? ……にしても現場を偶然目撃したならともかく、宰相の屋敷に押し入り、国家の運営に関して教会の一騎士長が、私の政策に意見とは何事か?」
「そ、それは……」
さすがに堂々と裏金のからくりを説明する必要も無いと思い、途中で言葉を変える。
私が支持したなど、まったくそんなことはないのだが、ここは一番偉い自分が泥を被ることで切り抜けよう作戦に出た。ハジムラド聖騎士は言葉を濁し、ディミトリは深々と頷いている。ディミトリって意外と演技派だったようだ……。私のでまかせに一ミリも驚いてない。
「さて、ハジムラド聖騎士長。いつまで王女に対して剣を向けたままでいるつもりだ!」
「これは、王女に刃を向ける者ではなく……」
「今回、貴公を動かしたのは誰だ? 貴公か?」
「……さては謀ったな、ディミトリ!」
なぜそうなる!?
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