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「ああ、ごめん、ごめん。これからはこういうこともあるかもってことで。徹とケンカした時とかさ、俺が相談にのってやるよ。もっとも俺はノートにでも書かないかぎり、あいつには伝えられないんだけどね」
淳は徹の飲みかけの缶ビールを一気に飲み干した。映画どころではなくなった。この狭い部屋で淳と二人きり。身体がこわばってくる。
「緊張しなくていいよ。ホントに何もしないから。俺は今日ソファで寝るし」そこで思いついたようにいった。「やっぱ、それはだめだな。朝起きて別々に寝てたら、徹が変に思うだろう。遥香ちゃんと同じベッドにいないと、何かおかしいと思うかもしれない」
言われてみるとそうだ。どうしよう。親しくもない男と同じベッドで寝るのは抵抗がある。ホントのことをいうべきかもしれない。
「ビール、もう一本飲もうかな。遥香ちゃんも何か飲む?ああ、いいからお姫様はそこにいて」
立ち上がろうとする遥香を制し、淳が冷蔵庫からビールとお茶をもってきた。
「ほんとにお茶でいいの。美央は酒が好きだぜ。おもしろいね。ねっ、美央の話、聞きたくない?って、俺と知り合ってからのことだけだけど」
聞きたい。どうして、いつから現れ、何をしていたのか。
テーブルに置かれたお茶のキャップをはずし、口をつけた。ソファでくつろぐ淳とは対照的に、遥香は正座だ。
クソマジメだなぁ、何それ、正座?と笑いながら淳が話し始めた。
「出会ったのは夜の繁華街。徹は遥香ちゃんに前から好意を寄せていたからね。俺はすぐわかった。徹はチラッと目をやったけど、表情も雰囲気も別人だったから、また歩き出した。その時の遥香ちゃんはふらふら歩いていた。手には缶酎ハイもってさ。やべぇよな、そんな女。でもすごくエロかったよ。そして俺にはピンときたんだ。
あれ、この女俺と同じじゃね?すごく興味がわいて、入れ替わったんだ。まあ、それまでも適当に入れ替わって女と遊んでいたけどね。
うすうす徹も気がついていたみたいだけど、そこらへんはうまくやっていたつもり。せいぜい磁気カードを使うくらいだったし。現金が必要な時は身体を売ったりね、おっと、これは秘密だよ。自分が遊ぶのにあいつの金を使ったら悪いだろ。
遥香は蒼ざめる。美央は、美央も身体を売ったりしていたのだろうか。
「美央も身体を売ってたのかしら」恐怖で身体が震えてくる。
淳はソファを下り、遥香を抱きしめた。「売ってたとしても美央だ。遥香ちゃんじゃない。それに、俺と会ってからは、そんなことしてないはずだ」
身体から力が抜けていく。淳の顔がぼやけ、室内が歪んだように感じられた。世界が廻る。空中に放り出されたような、取り残されたような、すべてに見捨てられたようでいたたまれなくなった。
と、徹さん、助けて!
淳は遥香を抱きしめ、「美央から聞いてるよ。遥香ちゃん、頑張ってるよ。頑張って生きてきたよ。もう力を抜いていいんだよ。美央はあんなだけど、遥香ちゃんを守るために現れたんだから。俺や徹がついてるんだから。もう、一人で苦しまないで」
そっと抱え上げられ、ベッドに運ばれた。淳は優しく背中をなでながら、好きだよと囁いていた。額にキスをされた。遥香はもうされるがまま。しかし、その夜の淳はそれ以上のことをしてこなかった。
いつものように徹を見送り、遥香はぼんやりとベッドのシーツを見つめていた。昨夜ここで淳と寝たのだ。徹は優しいが、遠慮がちに心に触れてくるのが、時々じれったい。淳はためらいなくずかずか踏み込んでくる。優しさよりも、不安の沼から引き揚げてくれるような強さを求めているのだろうか。勝手だと思う。
淳にしたところで、すでに美央から聞いているからだろうから、対応もちがって当然なのだ。でも、『頑張っている』といわれた時、『もう、一人で闘わなくてもいいんだ』とホッと力が抜けていくのがわかった。過去の自分を含めて抱きとめられることが、こんなに安心感を与えるものとは。
徹には何も語ってない。生い立ちも境遇も。また彼の事情も聞いてはいない。話したい時がくれば話すだろうし、そういう時がこないのならそれはそれで仕方がないと思っている。
過去を話したからといってどうなるものでもない。人間は今しか生きられないのだから。
自分のことを語らない遥香に、友人も周囲の大人もやがては離れていく。話したところで重すぎて、どうせ離れていくだろうに。
架空の過去でも捏造してしまおうか。そんな思いにかられたこともあった。きちんと礼を尽くせば相手も礼儀をもって丁寧に扱ってくれる。それだけにすがって、固いといわれようが、マジメに生きてきた。でも美央が生まれてしまった。心のどこかで開放したくてたまらなかったのだろうか。両腕を抱きしめる。また身体が震えてきた。
淳の残り香をかぎながらシーツにくるまり、遥香は眠った。
次に淳に会えるのはいつなのだろうかと思いながら。
最近は二人のセックス動画もなく、交換日記に―いつもと同じ。特に引継ぎなし―としか書かれない日が増えていた。
二人の筆跡は自分たちとちがう。美央の字を見た時、ああホントに別な人なんだな、と思った。
淳と美央は会えばセックスをする。恋人どうしなのだから。
遥香と徹もセックスをする。不安でいたたまれなくなると肌を求めあい、身体を繋げたくなってしまう。もう恋人どうしなのだろうか。
「徹とやったのは3回か」
「そんな感じかな。遥香とはまだ1回会っただけよね。明日の夜あたりどう?」
「そうだな。そろそろ焦れてる頃だろう。ずっと俺のこと考えてるといいんだがな」
「しょっちゅう考えてるよ。徹に抱かれながら淳のことも想ってるし。あの二人のセックスって淡泊だね。淳とは全然ちがう」
「遥香と美央がちがうようにな。でも、男には遥香みたいな女を乱れさせたいっていう欲望もあるんだぜ。そういう意味ではそそるよ。徹がどこまで遥香をエロくさせるか楽しみだなぁ」
「あ、そう。今わたしは徹を調教しているから、それ次第なのかな。だんだん育ってきてるよ」
「おいおい、俺より徹の方がいいなんて言ってくれるなよな」
あん、淳が乳首をつまむと、美央が甘い声をあげた。
「久しぶりに動画撮ろうぜ。あいつらを刺激してやろう。それで関係も進もうというもんだぜ」
「徹とわたし。遥香が淳。とにかくくっつけばいいのよ」
「ああ、」
「それでわたし達はずっと生きていける」
「あいつらが俺たちを消そうとしないように、しっかり掴まえろよ」
「それをいうなら遥香のこともね」
「美央、好きだ。俺たちはいつか消えるかもしれない。わかりあえるのはおまえだけ。俺、消えたくない」
「わたしも消えたくない。ずっと一緒にいたい」
二人はしがみつき、熱い口づけをかわした。
朝目覚めると、ノートには『久々に動画撮ったから、二人で見てね』と書いてあった。最初に見つけたのは遥香だ。
「徹さん」
「うん?」
ノートを広げて見せる。あいつら、と口を歪めながら徹も起きだした。
「遥香は見なくていいよ。見てて気持ちのいいもんでもないだろう」
前回撮ったのは徹がデリートしていた。
「徹さんは見るの?」
「どうだろう。乱れる美央が遥香に見えるから、俺はちょっと見てみたいかな」
ホントは嘘だ。淫蕩な表情の美央が見たい。遥香は好きだ。だが、美央が支配する肉体の魅力にも抗えない。相手の淳を自分に置き換えている。次に美央が現れた時は、ぞんぶんにいたぶってやる。
「徹さんたら、」
「本当さ。どんな遥香でも好きだから、」
徹は遥香を後ろから抱きしめ、耳を齧った。
徹は最近照れもなく愛情表現をしてくるようになった。嬉しい反面、どう対応したらいいのか、困ってしまう。次のページを何気なく繰って、遥香はすっと息を止めた。
『もっと楽しみたいから、アダルトグッズ買っといて‥‥』
具体的な商品名が書いてあったが、遥香にはよくわからなかった。だが、どれもセックスで使うものだということは想像できた。
「まったくあいつら。何を買わせるんだ」
「徹さんが買わなくても、勝手に買ったりしちゃうんでしょ」
「そこだよな。遥香は大丈夫?その、美央の身体に使うんだよ」
遥香は固まってしまった。そうなのだ。自分と美央は肉体を共有している。
「何とか止められないかしら」
とりあえずノートに『勘弁してくれ』と書いておいた。
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