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それから半月。ノクシアは訓練や巡回の合間を縫って、日に上げず森を訪れるようになっていた。
草を揺らす清涼な風。樹木は高く聳え、枝葉のレースが光を和らげる。静かな黒の森は張り詰めたノクシアの心を穏やかにしてくれた。
ガサリと茂みが揺れ、小さな姿が現れる。巻かれた包帯がまだ痛々しい、あの時の白い鳥だ。
「おい鳥、まだ自分で餌は獲れないか? 腹が減っているなら食え」
ノクシアが持ってきた包みを差し出すと、鳥は嬉しそうにピョンピョン跳ねて近付いてくる。「随分元気そうだな」と呆れるノクシア。彼女はなにも鳥相手に独り言を言っている訳ではない。この鳥は、
「酷いなあ。僕、まだ一羽じゃ何にも出来ない可哀想な怪我鳥だよ? もっと労わってよね」
――喋る。
怪我の手当てに五回目に訪れた時、その嘴から初めて人の言葉が出て来た瞬間の衝撃を、ノクシアは生涯忘れないだろう。鳥曰く、前の飼い主が熱心に言葉を教えたとの事。
ノクシアはこの鳥が白の国のスパイである可能性も考えなくはなかったが、白い鳥など王城付近を飛んでいるだけで射殺される。それに、この鳥は見るからに鈍くさく、あまり賢そうでもない。そこで、元気になってどこかへ飛び去るまで見張っておこうと、世話をするようになったのだ。
「また黒パンにブルーベリージャム? 僕、飽きたよ」
「嫌なら鼠でも食ってろ」
鳥がヒッと悲鳴を上げる。この鳥は野性を忘れたのか、人間の食べ物しか口にしない。以前ノクシアが黒鼠を取ってやった時、丸い目を涙に溺れさせ散々喚いていた。
「あーあ。たまには半熟のオムレツとか食べたいな。僕の大好物なんだ」
「半熟だと? 卵は焦げるまでよく焼いたものに限る! ……いや、待て」
鳥の好物が卵とは、倫理的にどうなのか。種類が違えばいいのか?
ノクシアの何か言いたげな目に、鳥は首を傾げる。
「何?」
「……そういえばお前、何の鳥なんだ?」
「僕? えっと、鳩。いや、鴉かな。カア」
「ハッキリしない奴だ」
白いし、嘴も鴉と比べると小さい。本当に鴉かどうかは定かではない。
この喋る鳥は、非常にいい加減な性格をしていた。厳格なノクシアとは正反対だが、相手が無害な鳥だからか、彼女は大分寛容になっていた。
自分の食事を終え寝転ぶノクシア。その頭に、ブルーベリーの香りの鴉が擦り寄る。
「なんだ、こそばゆい」
「君の髪って艶々でとっても綺麗だね。僕、黒って汚いだけだと思ってたよ」
「喧嘩を売っているのか」
「ううん。口説いてるつもり」
はっ、と鼻で笑うノクシア。
暫く心地良い無言が続く。鴉がうつらうつらし始めた時、ノクシアは勢いよく体を起こした。
「午後の訓練の時間だ」
「ビックリした……。もう行っちゃうの? また来てくれる?」
「時間があればな」
夜の闇より深い瞳が、少しばかり優しい色で鴉を見下ろした。漆黒の髪がサッと肩を流れる。鴉は眩しそうな目で、「カア」と鳴いた。
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