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冬(葵編)
「じゃあ行ってくるね」
「うん、いってらっしゃい」
円歌に見送られて向かったのはスポーツクライミングやトランポリンなどができる室内アスレチック施設だった。晴琉のバイトしているスポーツジムに運動不足の解消のためにも通うようになって、晴琉のバイト仲間であるジムのスタッフの人たちとも顔見知りくらいにはなった。そうして晴琉に誘われて晴琉のバイト仲間の人たちと遊ぶことになったのだ。
いつもなら顔見知り程度の人たちと出掛けるのは苦手だから避けるけど、円歌に人付き合いの少なさを心配されていたのを知ったから重い腰を上げて参加した。
「はっや」
クライミングもトランポリンも初めてだと言っていたのに、運動だけでいえば要領が良い晴琉は何でもすぐにコツを掴んでいた。
「わぁ、すごいねぇ」
「あ、はい……スポーツなら何でも出来るんですよ、晴琉は」
不意に晴琉のバイト仲間から話しかけられて、たどたどしく会話をする。昔だったら返事をするだけで精一杯だったから、成長はしているけど、人と仲良くなるまでの妙な距離感は苦手なままだった。今日はアスレチック施設に喜んで行くようなアクティブな人ばかりで、私の根暗な部分を気にするような人はいなかったから気は楽だった。何より晴琉がいる。
「晴琉ちゃんて絶対モテるでしょ」
「え?あ、そうですね」
「あぁやっぱり。ジムのお客さんにも人気なんだよねぇ」
人懐っこい晴琉が人気があることに意外性はないし、親友としては誇らしい。ただ晴琉の恋人である寧音のことを思うと複雑な気持ちにもなる。晴琉は誰にだって優しい。それが良いところであって、難しいところでもある。今もほら、トランポリンで倒れそうになった人を咄嗟に助けた。「大丈夫ですか?」って爽やかな笑顔を添えて。ああいうことを何気なく、誰にでもしてしまうのだ。別に悪いことをしている訳ではない。晴琉が寧音のことを一番大事に思っているのは私の目から見ても明らかだった。でも、いつか、その優しさが晴琉自信を苦しめるんじゃないかと心配してしまう。
「葵!競争しよ!」
会話をしながらしれっと休んでいたのは晴琉にバレていた。腕を引っ張られてほぼ強制的にアスレチックレースとかいう障害物を避けてゴールするアクティビティに連れて行かれた。
「勝ったら何にする?」
「何ってなに」
「ジュース一本?」
「えぇ?やだよ本気で走るの久しぶりだし」
というか晴琉に勝てる気がしないし。
「でもただ競争するのなんてつまんないじゃん」
「じゃあ……勝った方が寧音とデートね」
「は⁉何それ⁉」
「よーいドン!」
「あ!ずるっ!」
完全に油断していた晴琉は私の想定外の答えにスタートダッシュが遅れた。その後も動揺が収まらなかったのか、私が先にゴールした。
「はぁ、はぁ……なんだよー!葵ずるい!」
「さーて寧音とどこ行こうかなぁ」
「え⁉マジでデートする気なの⁉ダメだって!」
「友達と出掛けたらダメなの?束縛がすごいねぇ」
「じゃあ私も円歌とデートする!」
「ダメ!」
「なんで!」
わーわー言い合っていたら晴琉のバイト仲間の人たちが私たちの様子をしっかりと見守って笑っていた。
お昼に来てから散々遊び尽くして、気付けばお腹が空いていた。そのまま夕飯も皆で食べて、家に帰る頃にはすっかり外は暗くなっていた。
「ただいまぁ」
「おかえり」
お風呂にゆっくりと浸かると久しぶりに一日中動き回った疲れがドッと押し寄せてきた。これは円歌より先に寝てしまうかもしれない。いつも寝顔を眺めてから寝るのが習慣だったのに。
「円歌ぁ」
お風呂から出てソファで読書をしていた円歌の膝に頭を乗せて寝転がった。読んでいた本を置いて私の頭を撫でながら円歌は微笑んでいた。
「楽しかった?」
「うん。でも疲れたぁ……」
今日あった出来事を話していると段々と眠気に襲われる。瞼をほとんど閉じたまま話を続けていた。円歌とくっついているところが温かくて、心地が良くて。このまま寝落ちしてしまいそう。
「それで?寧音とどこでデートするの?」
「は?」
和やかな雰囲気でゆったりと会話をしていたはずなのに、すっかり目が覚めた。晴琉め、告げ口したな。円歌はそれまでと変わらない口調で穏やかな顔をしているけど、デートと言われるとちょっと気まずい。
「いやいや、ただの冗談だから」
「別にいいけどね。私も寧音とよくデートしてるし」
「んー……仲悪いわけじゃないけどさ、寧音とは二人で出掛けるのはなんか違うんだよね」
「ふーん……でも葵と寧音ってちょっと似てるところあるよね。ちょっと不器用なところとか。かわいい」
「それってかわいいかなぁ?」
「うん、二人ともかわいいよ。たまに意地悪なところも似てる」
「さっきから褒めてなくない?」
「そんなことないよぉ」
「でも似てるなら……先に寧音と出会ってたら、好きになってた?」
面倒くさいことを言っているのは分かっている。「そんなことないよ」って、「葵が好きだよ」って言って欲しいだけ。愛情の確認作業を強要しているだけだ。寧音も私みたいに面倒くさいことを晴琉に言うことはあるのだろうか。
「何?寧音のこともかわいいって言ったから嫉妬してるの?」
「円歌って寧音のことすぐ褒めるじゃん。しかも好きってよく言ってるし」
「葵にもいっぱい好きって言ってるでしょ?」
「……そうだね」
円歌はどこか楽しそうだった。もう私が何を求めているのかを分かっているから。
「葵、」
優しく名前を呼ばれて、ゆっくりとキスを一つ、落とされた。
「今のは何のちゅーでしょーか?」
「はぁ?」
キスをされて嬉しい気持ちは意図の分からない質問によって戸惑いに変わる。円歌はよく変なことを言い出してくるから困る。
「何のってなに?」
「えー?分からないの?」
分かりやすく不貞腐れたフリをしてくる。「何のちゅー」って何?種類なんかある?……あぁ、「仲直りのちゅー」とか「おやすみのちゅー」とかそういうこと?今は割と唐突にキスされたし、話の流れを汲むなら……。
「えっと……す、好きのちゅー?」
「ぶぶー」
打って変わってニコニコと笑顔で私の間違いを指摘してくる。せっかく恥ずかしい気持ちに負けずに言ったのに。
「……答えは?」
「おかえりのちゅーでしたぁ!」
「いや今更⁉てか今の流れじゃ絶対なかったじゃん!」
「えー?だってしてなかったし」
めちゃくちゃなクイズに弄ばれる。起き上がって抗議するけど、円歌はあっけらかんとしていて、どうやら私の反論を受け入れる気はないらしい。
「じゃあ次、円歌当ててよ」
円歌にされたような優しいものではない、深くて長いキスを一つする。
「……好きのちゅー?」
「違いまーす」
「じゃあただいまのちゅー?」
「おかえりと重複してない?それ」
「えぇ?じゃあわかんない」
「……おやすみのちゅーでした」
「嘘だぁ、いつももっと軽いやつじゃん!」
「はいじゃあおやすみー」
抗議を無視してさっさと寝室へ向かうために立ち上がると服の袖を引っ張られる。
「何?」
「好きのちゅーもして?」
「……うん」
何だかんだ眠気もピークに来ていたから、最後にもう一度だけ心を込めて、キスをした。
「おやすみ葵」
今日は苦手な人付き合いを頑張って、たくさん運動して疲れていたというのに。円歌のおかげで気持ち良く寝ることが出来そうだ。
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