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夏(円歌編)
二日かけて部屋の一角が大きなモニターとパソコンとお洒落なPCデスクで埋まった。在宅のアルバイトであるデータ入力、という私にはよく分からない仕事を始めた葵はパソコン周りの環境を整えるのに熱が入ってるようだった。結構なお値段をかけているようで心配だったけれど「先行投資だから」と言われたら言い返せなかった。とにかく何かバイトを始めてくれたことは嬉しかったからとりあえず黙って見守ることにした。それに履修登録だのレポートの提出だので分からないことがあるとデジタルに強い葵が全部教えてくれるから助かっていたのもある。
部活も止めて受験生になってから運動量がとにかく減った葵は大学生になってから散歩をよくするようになっていた。私はインドア派であまり出掛けるのは好きでないけれど、葵が隣にいるなら話は別で、再び趣味になっていたカメラを持って一緒に散歩に出かけるようになった。今日は散歩から帰って来て消費したカロリーを無にするかのようにアイスをお互い食べていた。
「夏休みに鎌倉に合宿行くから三日家空けるけど、葵はどうする?」
「んー……実家帰ろうかな」
「そっか。他に予定ある?」
「んー……ない」
私は所属する写真サークルの合宿があって、バイトもそれなりに入れていた。久しぶりに寧音とも遊ぶ約束をしていて、学部の友達とも予定があった。それに比べて葵は私とのデートとバイト以外には特に予定はないようだった。
「晴琉達誘ってどこか遊びに行く?」
「んー?……うん」
葵はソーダ味のアイスキャンディーを片手にパソコンに向かったまま空返事をしてくる。私はカップのバニラアイスクリームを食べていた。葵にはアイスクリームが甘すぎるらしい。食の好みが違うおかげでどっちが勝手に食べた、みたいなケンカはなかった。
「行きたいところある?」
「ん?円歌が行きたいところで良いよ」
最近葵が私以外の人に興味が薄いのは良いことなのか悪いことなのか、私には分からなくなっていた。葵は私を否定しないし愛情もたくさんくれている。きっと良い恋人なのだと思う。一緒に暮らすようになって一緒にいる時間が増えて、直して欲しい思うことがきっとあるはずなのに、そういうことを強く言われたこともない。だからこそ、もっと人と関わってみたらなんて思っても言えなかった。しかもそれでいて私はいざ葵が他の人たちと関わる時間が増えたら、きっと寂しいと思うのだから本当に面倒くさい。
「それより円歌」
「うん?」
「合宿……気を付けてよね」
「え?何を?」
「羽目外した先輩に絡まれたりしないよね?」
「そんなチャラいサークルじゃないから」
「でもさ、円歌……隙だらけだし」
葵はようやくパソコンから離れ、ソファにくつろぐ私に抱き着いてきたと思ったら、急に耳を舐められた。食べ終わったアイスの冷たさが舌から伝わってくる。耳を触られるのが苦手な私は距離を取ろうとするけれど、私より力がある葵からは離れられない。近距離で睨んでも葵は嬉しそうで意味がなかった。
「ちょっと!葵!」
「ほら、隙だらけ……心配だなぁ」
「こんなことする人いないから!」
「分かんないじゃん」
「葵はサークルを何だと思ってるの……」
呆れる私を気にせず葵はより強く抱きしめてくる。葵は私のサークル活動を心配してくれていて、それに嫉妬も結構している。本当は合宿に行ってほしくない気持ちをこうして隠さずにぶつけてくれるのは私にとっては嬉しいことだった。独占欲を見せながらも決して束縛しすぎない葵の嫉妬が、嬉しかった。
「円歌、舌出して」
「え、なんで」
私の質問には答えずに葵は私の口に舌をねじ込んできた。バニラの味が残る口の中に、葵が食べていたソーダの味が混ざっていく。冷たい舌が気持ち良くて、バニラとソーダって相性良いんだなって、呑気に考えていた。味わうように舌を絡めていた葵の顔が離れていく。そこにはしかめっ面をした葵の姿があった。
「……あっま」
「無理やりしておいてなんなの」
口直しをするみたいに水を飲む葵にちょっとイラっとした。そっちからしてきたくせに。残っていたバニラアイスを食べてから、葵に跨ってソファに押し倒した。
「え、ちょ、何」
「舌出して」
「えぇ?やだよ」
私に仕返しされると察した葵の返事は無視した。葵にされたように舌を入れて絡める。最初は抵抗していた葵も次第に大人しくなって、受け入れてくれたから離れてあげた。
「うぅ、甘い……」
「ねぇ私とのキス、嫌がんないでよ」
「ごめん……思ったより甘かった……」
「じゃあ甘くなくなるまでする」
「えぇ?」
戸惑いながらも次のキスは最初から葵は受け入れてくれて。お互いの舌も温かくなっていく。もうとっくにバニラの甘い味はなくなっていたけれど、構わずキスを続けていた。
「……何、まだすんの?」
「うん」
「どしたの?積極的じゃん」
「合宿行く間の分、先にしておこうかと思って」
「へぇ……まぁいいけど」
次のキスには葵も積極的になっていた。葵はたまに自分だけが嫉妬したり、独占したりしたがっているんじゃないかって不安になってしまうから。こうして私も葵のことが好きなのだと、ちゃんと一緒にいられない時間は寂しいのだと伝える必要があった。
「お土産何が良い?」
「いらない……円歌がちゃんと帰って来てくれればいい」
いらないじゃなくて、ちゃんと考えてよって答えようと思ったのに。本気で私がいなくなるかもしれないことに怯える葵の切実な言葉に胸が締め付けられる。葵の中で私の存在は大きくなりすぎている気がしていた。私には葵にそう思わせるほどの価値はあるのだろうか。
「ちゃんと帰ってくるから……」
「うん」
「葵」
「うん?」
「……好きだよ」
「うん、葵も好きだよ」
好きの熱量が同じだといいのにと願いながら、飽きることなくキスをした。
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