秋(円歌編)

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秋(円歌編)

 文化祭は所属する写真サークルの展示があったから参加することになった。葵は興味がないらしく家でバイトをする予定らしい。晴琉は文化祭の実行委員の手伝いをするらしく忙しそうにしていて話す隙もなかった。 「「ぎゃああ!!」」  文化祭当日。キャンパスで一番大きい広場で悲鳴にも似た声が聞こえた。思わず悲鳴が上がった中心を見ると、そこにいたのはすっかり近寄りがたい存在になっていた、私には見慣れた人物だった。 「……志希先輩」  雑誌でモデルをしている志希先輩はそれなりに有名人で、ファンと思われる人たちに囲まれてしまっていた。私は騒ぎに気付いて立ち止まった群衆の中で小さく名前をつぶやいたのに、それでも先輩はすぐに私の存在を見つけて、真っすぐに私の元へとやってきたのだった。 「うはぁ!円歌ちゃん久しぶりぃ!ちょっとここ騒がしいからどっか行こ!」  周りからの視線を浴びながらも先輩に手を取られ、あっという間に人気のない静かな場所へ連れさらわれてしまった。初めてこの大学に来たのに、どうしてこういう“ちょうどいい場所”をすぐにこの人は見つけられるのか不思議だった。 「志希先輩。どうしてウチの大学にいるんですか?」 「え?寧音が晴琉ちゃんから文化祭誘われたって聞いたからさぁ。私もこっそり?」 「何がこっそりなんですか。目立ちすぎですよ。もう有名人なんだから、少しは変装とかしてください」 「ごめんごめん」  謝りながらも先輩はカバンから帽子とメガネを取り出し変装をした。   「変装の用意してあるじゃないですか」 「目立ったら円歌ちゃんが気付いてくれるかなぁって思って」 「私に用事があるんですか?」 「うん?ただ会いたかっただけだよ」  ここに来た目的が私みたいなこと、言わないで欲しい。志希先輩がこうして誰にでも調子の良いことを言う人だって分かっている。分かっていても、そんなことを笑顔で言われたら私は、この人のことを好きだったことを思い出して、そして裏切ってしまったことを思い出して胸が苦しくなるのだった。 「……じゃあ、もう用ないですよね」 「えぇーどこ行くの?案内してよぉ」  結局おどけながら泣きついてくる先輩を引き剥がせず、写真サークルの展示まで案内した。 「へぇ、また写真始めたんだ」 「はい……でも、そのうち辞めるかもしれないです」 「葵ちゃんじゃないと撮影しがいがないもんねぇ」  私の撮った写真を眺めて、何でもないように言う先輩。どうして先輩には分かってしまうのだろう。私が展示した写真は風景ばかりで、人物が写っているものは一つもなかった。それは葵以外を撮っても、何かしっくりこなかったからだった。 「……そうなんですよ」 「ふーん……二人が上手く行ってるみたいで良かった。円歌ちゃん、寧音のこともよろしくね」 「え?なんで寧音が出てくるんですか?」 「あれ?……そっか。そうだね。大丈夫だよね」 「え?何ですか?なんか意味深」 「いやぁ寧音ってややこしい子だからねぇ。晴琉ちゃんは真っすぐ過ぎるし。それより円歌ちゃん、お腹空かない?出店見に行こうよ」  急に真剣な顔をして寧音の名前を出すものだから、不安になった。でも志希先輩はすぐにいつも通りのにこやかな表情を浮かべて、はぐらかされてしまう。 「え、そんなに食べて大丈夫なんですか?」 「うん?私食べても全然太らないんだよね」  出店にあった揚げ物やら甘いスイーツやら片っ端から買って、イートインスペースのテーブルに広げている志希先輩。葵は部活をやめてから太らないように食べ物に気を遣うようになっていたけれど、先輩にはどうやら関係ないらしい。羨ましい。 「そういえば葵ちゃんいないの?」 「葵は家でお留守番してます。興味ないみたいで」 「えぇ?相変わらず消極的だねぇ……バイトとかしてるの?」 「まぁ一応……在宅ですけどね」 「へぇ……あの子は本当に円歌ちゃんさえいればいいんだろうねぇ」  志希先輩は楽しそうにしているけれど、私は笑えなかった。そんな私の小さな不安の現れを先輩はいつだって見逃してはくれないのだった。そしてその優しさに私はいつだって甘えてしまう。 「うん?どうしたの円歌ちゃん」 「……葵、なんか、私のことばかりで……嬉しいんですけど、これでいいのかなって、最近思ってしまって」 「あらぁ贅沢な悩みだね」 「そうですよね……気にしすぎですかね」 「内向的なのが気になるなら、私が連れ出してあげようか?」 「それは嫌です」 「えぇ?悪いようにはしないのに……まぁ大丈夫でしょ。葵ちゃんは円歌ちゃんのこと悲しませるようなことはしないでしょ?」 「……そうですね」 「ほらほら。甘い物でも食べて元気だして」  ほぼ強制的にワッフルを口に放り込まれて、プレーン味の優しい甘みが口の中に広がる。志希先輩が大丈夫と言うと不思議と大丈夫な気がしてしまうのは、先輩がいつも私にくれる言葉に自信を感じるからなのかもしれない。  大量に買い込んだご飯を食べて、志希先輩は寧音と晴琉を探しに去っていった。先輩に悩みをこぼして少し気持ちが軽くなっていた私はサークルの展示へと戻った。 「ただいまぁ」  その後何事もトラブルはなく文化祭は終わり、二日目の準備をして夜に家へと帰った。いつもすぐに葵から「おかえり」と返事がくるのに、今日は静かだった。 「葵?」  リビングへ行くとパソコンの前に座りヘッドフォンを着けている葵がいた。ようやく私の気配に気付いてこちらを向いてくれる。 「ただいま」 「……うん、おかえり」  ヘッドフォンを外して一瞥したと思ったらすぐに目を逸らされて、ぶっきらぼうな「おかえり」をくれた。明らかに機嫌が悪い。朝は普通だったのに。私が文化祭に行っている間に何かあったのだろうか。 「どうしたの?」 「……別に。お風呂沸いてるよ」 「うん……ありがとう」  私の返事を聞く前にもう葵はヘッドフォンを着け直した。明日はまた文化祭があるから、ゆっくり二人で話す時間はない。話を聞くなら今しかなかった。  お風呂にゆっくり浸かった後に部屋に戻ると葵はパソコンの前からいなくなっていた。たぶんもう寝室に居るのだと思う。でもいつも私より早くベッドへ向かうことなんてないから、やはり葵の様子はいつもと違っていた。 「……葵?」  寝室へ向かうと部屋は暗くて、葵はベッドで寝ているようで呼びかけても反応はなかった。隣に寝転んで、壁の方を向いている葵の背中に抱き着いた。 「葵、起きてるんでしょ?……ねぇ、どうしたの?」 「……志希先輩から連絡があった」  葵は寝てはいなくて、でもこちらを向くことはなく、ポツリと壁に向かってつぶやいた。   「……ごめん」 「なんで謝るの?」  たぶんきっと、志希先輩は悩みを相談したことについて葵に何か言ったのだと思う。先輩は後輩の面倒見が良くて、私にとってはありがたいことだけれど、葵にとっては面白くないはずだ。だって先輩は私の元恋人なのだから。葵は私と向き合うように体勢を変えた。 「何か謝らなきゃいけないようなこと、したわけ?」 「そんなことしてない……ただ、話をしただけでも嫌かと思っただけ……」 「そっか……ごめん、なんか……モヤモヤして……責めるような態度取ってごめん……」 「ううん、大丈夫」 「志希先輩から連絡来たから、円歌となんかあったのかと思って……先輩との事、疑ってるとか、そういうんじゃなくて……」 「うん、分かってる。分かってるから……不安にさせてごめんね」  それから私たちはしっかりと抱きしめ合って話をした。 「……先輩がさ、円歌のこと、不安にさせたらダメだよって……ねぇ、葵に直して欲しいことがあるなら言って欲しい……先輩に相談なんてしないでよ」  志希先輩、すぐ言っちゃうんだから……でも、その先輩の行動力で私たちの関係は上手く行ったところがあるから、強くは非難できなかった。  「ごめんね……葵が全然出掛けたり遊んだりしないの、ちょっと心配で、相談したの」 「え?……あー……まぁ、うん、やっぱりおかしい?」 「おかしいとまでは思わないけど……葵が人見知りなのわかってるし。それでももう少し、人と関わった方がいいんじゃないかって……ごめん、余計なお世話なのは分かってるんだけど……」 「そっか……ごめん、心配かけてたの気付いてなかった……円歌が傍にいてくれれば十分だから……」 「志希先輩が似たようなこと言ってた。葵は私がいればいいんじゃないかって」 「えぇ?先輩に見透かされてるの、癪なんだよなぁ……うん、わかった。もうちょっと、人付き合い頑張ってみる……」 「あんまり無理しなくていいからね?」 「ん……明日の文化祭、行こうかな」 「本当?じゃあ一緒に回ろうね。サークルの友達も紹介したいし」 「うん」    志希先輩に相談したことを反省しつつも、先輩が関わることで葵が積極的になってくれたことを内心喜んでしまっていた。これからは先輩に頼らなくても葵に良い影響を与えられる人になりたい。 「葵、明日も早いからそろそろ寝よ?」 「うん、おやすみ円歌」 「おやすみ」  おやすみのキスをして目を閉じる。いつまでもずっと葵に見守られながら夢へと誘われたいと願っていた。葵の世界が広がっても、私が一番近くに居れますように。
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